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パラ柔道、廣瀬悠・順子夫妻。
「続ける理由」に松岡修造混乱!? 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byYuki Suenaga

posted2019/09/05 07:00

パラ柔道、廣瀬悠・順子夫妻。「続ける理由」に松岡修造混乱!?<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

廣瀬悠・順子夫妻と松岡修造さん。取材は“柔道の聖地”講道館にて行われた。

「就職活動中は迷いがあって……」

松岡「でも辞めなかった」

順子「就職するときはちょっと迷いました。大学生の時はしんどいけど柔道ができることが楽しくて、国際大会での成績など何も考えずに楽しくやれていたのですけど、柔道で就職するとなると責任も伴いますし、応援して下さる方のためにも頑張らないといけない。昔みたいにしんどくなるんじゃないかって……」

松岡「それは伊藤忠丸紅鉄鋼(道着の胸部分に貼られたスポンサーのワッペンを見て)に入社する際の話ですか」

順子「いえ、大学を卒業してすぐ東京の生命保険会社に入ったんですが、その時にすごく迷いました」

松岡「一度転職をされているんですね。以前の保険会社に勤めていたとき、パラリンピックのイメージは持たれていましたか? 柔道を続ける決定打になったのはどんなことでしょう」

順子「パラリンピックを目指す、ということで就職させてもらったので、その大きな目標に向かって続けていました。就職活動中は迷いがあって、柔道か一般職かどちらかの道を選ぶとなったとき、ちょうど柔道の合宿があったんです。そこでみんなと一緒に柔道をしたのがやっぱり楽しくて、まだ辞めたくないなと思ったのが決め手です」

松岡「それが何年前の話ですか」

順子「リオパラリンピックの2年前だから、今から5年ほど前です」

松岡「じゃあリオまですぐだったんですね。リオには伊藤忠丸紅鉄鋼の社員として出てますけど、その時はもう旦那さんと会ってます?」

順子「2015年の10月から伊藤忠丸紅鉄鋼でお世話になっていて、悠(はるか)さんとは2013年に1度会ってます」

松岡「旦那さんのこと、『はるかさん』とお呼びするんですね……。お待たせしました(笑)。悠さんの話を聞かせて下さい」

 それまで順子さんが話す様子を柔和な表情で見守っていた悠さんが、松岡さんと改めて向き合う。松岡さんが最初に訊いた質問は、やはり視力のことだった。

松岡「悠さんは今、視力はどれくらいなんですか」

「左目の視野は中心がほとんどなくて、この辺(目の両端を指で指し)がちょっと見えるくらい。右目の方は多少中心が残ってます。だから矯正すると視力が0.1はあるんですけど、緑内障という病気で視野が欠けちゃっているので左目はほぼ見えていないです」

松岡「じゃあ、僕のことは今見えてますか」

「わかります。ウザさについても多少は(笑)」

松岡「ハハハ。悠さん、いいですね! 柔道をするときはコンタクトを入れるんですか」

「いや、裸眼です。コンタクトがいけないわけではないんですけど、一応相手の存在は見えているので。視覚障害者柔道はお互いに組んだ状態から始まるので視力はそこまで必要ありません」

松岡「悠さんが緑内障を患ったのは何歳の時ですか」

「僕は17歳のときに。目が見えづらくなってきたのでコンタクトレンズをつけようと思って眼科に行ったら緑内障と診断されて。それでも柔道を続けていたんですけど、ある時、眼圧が一気に50くらいまで上がったんです。普通の人が10から15くらいなので明らかにおかしい。緑内障というのは目の圧が上がって、視神経を圧迫して失明に至ることもある病気なんです。それで柔道を引退して、即入院。手術をしました」

【次ページ】 「親に相当迷惑をかけたんです」

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