松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
パラ柔道、廣瀬悠・順子夫妻。
「続ける理由」に松岡修造混乱!?
posted2019/09/05 07:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Yuki Suenaga
控え室で柔道着に身を包んだ松岡さん。
糊のきいた道着が様になっている。ところが本人は「柔道の経験者でもないのに、黒帯をつけて大丈夫かな」と、準備していた帯の色に心配そう。
松岡修造が、パラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」第6回、今回の対談場所は、日本柔道の聖地・講道館だ。やや緊張の面持ちでビルの上階にある小道場の扉を開けると、2人の柔道家が畳敷きの道場の隅に正座をして待ってくれていた。
廣瀬悠さんと、順子さん。夫婦でともに前回のリオパラリンピックに出場し、夫の悠さんは初戦敗退で涙を飲んだものの、順子さんは初出場で見事に銅メダルを獲得した。2人はともに視覚障害者で、日本の視覚障害者柔道を引っ張る存在である。
美しい姿勢で2人が立ち上がり、道場の真ん中に3人が歩み寄る。帯の色などまったく気にしていない様子に松岡さんが安堵したところで、対談がスタートした。
「僕の顔はどのくらい見えてますか」
松岡「僕、ちょっと膝が悪いので、(膝を)崩した姿勢で失礼します。おふたりは視覚障害者ということですけど、いま、実際に目はどのくらい見えているんですか」
順子「(どうぞと悠さんに会話を促され)私は視力が0.08です。私の場合は、視野が欠けていて、真ん中が見えません。だから、真っ直ぐだと松岡さんのお顔が見えないです」
松岡「じゃあ、僕がこっちに行ったら見えますか?(と座る位置を変える)」
順子「はい、見えます。正面でなければ、左も右も。でも、私が視線をずらせば見えるので、そのままの位置で大丈夫です」
松岡「僕の顔はどのくらい見えてますか。表情とかウザさとか、そういうのは伝わってますか?」
順子「そこに顔があって、パーツがあるなというくらい。ウザさはわかりません(笑)」
松岡「先天性ではないと聞いています。いつ頃から視力が低下を……」
順子「高校を卒業してからなので、19歳のとき。膠原病で入院して、そこから半年の間に視力が低下しました」
松岡「高校では柔道をされていたんですね。一番良いときの成績は?」
廣瀬順子(ひろせ・じゅんこ)
1990年10月12日、山口県生まれ。小学校で柔道をはじめ、高校時代にはインターハイに出場。大学1年の時に膠原病を患い視力が低下、一旦は柔道から離れるが、視覚障害者柔道に転向。2014年アジアパラ競技大会で銀メダル。
2015年に悠さんと結婚すると、2016年リオパラリンピックに出場し、女子57kg級で日本の女子選手として初の銅メダルを獲得した。2018年世界選手権で銀メダル。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。
順子「インターハイ出場です
松岡「すごい! でも卒業して目が悪くなって、病気で人生が変わっていったのですね」