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1998年夏、横浜は4連戦だった。
1つ下の後輩が見た松坂大輔の苦悩。
text by
田中大貴Daiki Tanaka
photograph byHideki Sugiyama
posted2019/08/12 08:00
1998年に優勝した横浜高校。8月19日の3回戦・星稜戦から22日の決勝・京都成章戦まで4連戦だった。
「甲子園で野球人生は終わりではない」
現在、松本はスポーツメーカーに勤務し、野球用品を担当する。プロだけでなく、アマチュアの選手を見ることも少なくない。
「あの2年生の夏を経験したことで、やっぱり日程調整をしてもらいたいと思っています。予選を6月から、週末にできないものか。選手たちのベストパフォーマンスを考えると、一番良いのは間隔を空けて試合を迎えること。身体が良い状態でプレーしてほしいんですよ。甲子園で野球人生は終わりではないのだから、身体を酷使し過ぎない環境で甲子園を目指し、その上で甲子園で活躍してもらいたいんです」
20年前の夏、横浜高校のユニフォームを着て1人で甲子園を行進した松本。松坂らの1学年下だったからこそ、より感じるものがあった。
松本の願い通り、ベストパフォーマンスを発揮できる球児が1人でも増えてほしい。