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伊達公子が没頭した修士論文の中身。
砂入り人工芝は日本テニスの大問題。
posted2019/06/24 17:00
text by
内田暁Akatsuki Uchida
photograph by
Hiromasa Mano
「違和感」の種が胸にできたのは、思い返せば、初めて世界に飛び出した頃だという。
“新時代のテニスコート”の触れ込みで砂入り人工芝が登場したのは、伊達公子が、高校生の頃だった。
身近なところで一気に普及したのは、1985年の神戸ユニバーシアード。イベント会場の神戸総合運動公園のテニスコートが砂入り人工芝になり、以降はジュニアや高校の大会も、砂入り人工芝で開催される機会が増えた。
「悪天候にも強い」がそのコートの売りではあったが、伊達が思い出すのは、「水たまりがある中でプレーした」という記憶。また、足元が滑りやすく、球速もバウンド後に落ちるという「ネガティブなイメージ」だった。
“新世代のコート”への違和感。
もちろん当時のそれは、あくまで一個人が抱く印象にすぎない。だが高校卒業と同時にプロとなり、ヨーロッパやアメリカでプレーする機会が増えていく中で、“新時代のコート”が実は、国外には全くと言ってよいほど存在しないことを知る。
「今まで自分がやってきたサーフェス(コートの種類)が、世界に出ていく上での助けになっていない……」
それはまだ、主義主張をかたどる前の、小さな違和感だった。
違和感の種が芽吹くのは、それから20年近く経った頃である。
2008年――当時37歳の伊達は、第1次キャリアの引退から12年のブランクを経て、競技テニス界に復帰する。
その復帰戦の舞台となったのは、WTAツアー下部大会に相当するITF主催のカンガルーカップ国際女子オープン。会場の岐阜メモリアルセンター・長良川テニスプラザのコートは、砂入り人工芝だった。