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新しい地図・草なぎ剛×山本篤&井谷俊介。
「かっこよさにこだわり続けたい」
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byTakuya Sugiyama
posted2019/05/28 07:00
草なぎ剛(中央)とともに走る井谷俊介(左)と山本篤。パラリンピックの舞台を心待ちにする2人だ。
練習にカメラマンを呼ぶことも。
草なぎ ビジュアル重視ですね! それで記録は落ちなかったんですか。
山本 それが記録も上がったんですよ。落ちたら戻さないとなって考えていたので安心しました(笑)。今でもたまに練習にカメラマンを呼んで撮ってもらい、フォームの見え方をチェックしたりしますよ。
井谷 僕も同じです。特に子どもたちに、かっこいいと思ってもらいたい。単純にハンディを乗り越えて頑張っています、では憧れの存在にはならないと思うので。
でも、実はひとつ悩みがあって。僕はまだ競技歴が浅いので「辞めたい」と思ったことはないのですが、長く続けていくとそういう時期も出てくるのかな、と。長年芸能界でお仕事をされている草なぎさんは「辞めたいな」と思ったことはありますか。
草なぎ それはありますよ。13歳から仕事をしていますからね。でも結局なんでこの仕事を続けているのかというと「好きだから」なんです。失敗してめげたり、嫌になったりしたときは、自分の原点、仕事を始めた頃の気持ちを思い出すようにしています。
山本 すごく分かります。僕はもうアスリートとしてはベテランの域ですが、競技を始めたときの原点を忘れないでいたい。初めて出場した北京パラでは、緊張しすぎて楽しさを忘れたこともありました。
最初に出場した種目が100mだったんですが、ベストタイムが12秒8だったのに本番では13秒68。いくら調子が悪くても自己ベストより0.8秒も遅いなんてありえない。つまり緊張に負けたんですね。そこから開きなおって、2日後の走り幅跳びでは、銀メダルを獲ることができました。
リオでの山本の雄姿を見て憧れた。
草なぎ '16年のリオでは見事に走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーでは銅メダルを獲得されました。井谷選手はリオはご覧になっていましたか。
井谷 はい。リオはちょうど僕が義足になって数カ月のとき。リハビリをしながら山本選手の姿をみて、ものすごく刺激になりましたし、憧れました。
草なぎ 事故後、時間がたっていないと思うのですが、足を失った精神的ショックからは立ち直られていたんですか。
井谷 落ち込んだのは入院中の最初の2日だけでした。足を失った直後は、やっぱり家族や友達がすごく悲しんで、病室の中がお葬式みたいでした。自分の怪我よりも、そのことが僕は悲しくて……。周りのみんなに笑顔になってもらうには、僕が笑顔になるしかないなと思って。「井谷は足切ったけど前と変わらんね」と言ってもらえるようにリハビリも頑張りました。
山本 僕も大泣きしたのは1回だけ。膝下と膝上の2回手術したんですが、2回目の手術前にはお医者さんに「手術してもスノボできますか?」と聞いて、落ち込むどころか、どうやったらスノボができるようになるのかを考えてましたからね。パラの選手は結構立ち直り早い人が多いです。