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たった1人の自転車部から12年……。
30歳の初山翔、夢のグランツール。 

text by

杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

PROFILE

photograph bySonoko Tanaka

posted2019/05/21 16:30

たった1人の自転車部から12年……。30歳の初山翔、夢のグランツール。<Number Web> photograph by Sonoko Tanaka

144kmを先頭で走り続けた初山翔。世界三大自転車レースの「ジロ」で躍動する日本人がたちまち時の人となった。

有力紙で特集も、本人は冷静。

 翌日、イタリアの有力スポーツ紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』にも1ページを割いて取り上げられた。反響は大きく、第4ステージのスタート前には老若男女のファンにサインや写真撮影をせがまれていた。それでも、本人は落ち着いて、足元を見つめる。

「チームを含め、多くの人に喜んでもらえたのはうれしい。早い段階で1ステージでも求められた仕事をこなせたことには自分の中で満足しています。ただ、これが(ジロを走る)自信につながるかと言われれば、それは別物です」

 徹底したリアリスト。決して大きなことは言わず、現実的に目標を掲げて、一歩一歩進むのがモットーだ。本格的に自転車競技を始めた頃からずっとそうだった。高校時代にマンガ『タッチ』を読み、甲子園に強く憧れたものの、野球どころかキャッチボールすらしたことのなかった少年は、すぐに頭を切り替えた。

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「さすがに甲子園は無理だと思ったので、何か代わりのスポーツで全国大会に出たいと考えたんです」

たった1人の部活でインターハイ出場。

 そして、頭にふと浮かんだのが身近な乗り物。小学生の頃からマウンテンバイクに親しみ、中学生時代にはロードバイクを乗りこなしていた。高校生の初山は、自転車競技に可能性を見いだしたのだ。

 当時、通っていた神奈川県立麻溝台高には自転車部はなかったものの、学校に頼み込んで部をつくってもらった。たった1人の部活でインターハイ出場を目指し、高校2年生のときに目標を達成。ナショナルチームにも選出され、カナダで8日間のステージレースを走り、自転車競技の魅力に取りつかれた。

「すごく楽しかったんです。そのとき、ヨーロッパでプロになりたいと思いました」

【次ページ】 「ここで待っていれば、誰か来るから」

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#初山翔
#NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ

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