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<天才柔道家の強さを語る>
阿部一二三「野村忠宏を継ぐ者として」

posted2019/05/09 11:00

 
<天才柔道家の強さを語る>阿部一二三「野村忠宏を継ぐ者として」<Number Web> photograph by Yuri Manabe

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藤島大

藤島大Dai Fujishima

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Yuri Manabe

平成9年生まれと、昭和49年生まれ。共に得意技は、無双の背負い投げ――。 日本柔道界の新進気鋭、阿部一二三が孤高の天才、野村忠宏の柔道について語った。

 柔道の世界では「師匠」とは呼べない。

 直接の教えをいつも授かったわけではないのだから。

 それでも若者は偉大なる先達を深く慕っている。たとえばこんなふうに。

 取材場所の柔道場、申し訳ないことに、インタビューを前に目を通してもらう資料に間違いがあった。

「これ、アルジェリアじゃなくてジョージアのはずです」

 阿部一二三は、ある選手の国籍についてつぶやく調子で声を発した。

 自身の戦績を見ているのではない。いま21歳の日本体育大学4年生が7歳になったばかり、15年前のアテネ五輪、柔道男子60kg級の記録を手元に寄せての一言だ。

 その通り。若者にとっての師ならぬ「あこがれの存在」が決勝で破った男、ネストル・ヘルギアニはジョージア、当時はグルジアと呼ばれた国の生まれだった。

 あらためて、あこがれの存在の名を記そう。野村忠宏。記憶と記録の永遠の覇者。1996年のアトランタ、2000年のシドニー、'04年のアテネ、体重制御の困難な男子軽量級で五輪3連覇の偉業を遂げた。

 無双の背負い投げを核に、多彩な技を繰り出し、これでもかと崩しては放った。3大会計15試合のうち実に「12」までが一本勝ち。「鋭くて柔らかくて速い」。きっとそうなのだが、そんな形容も虚しかった。ただ野村忠宏だけの世界がそこにあって、負けん気や考える力を含む才能は、ひとりの柔道家の内面に完結していた。

 ここに後進がいる。

 '17年、'18年と66kg級で世界選手権連覇、阿部一二三は「野村さん」への憧憬をいつでも隠さない。

「全然、違いますね」

 問答の途中、目標の人の柔道を何度かそう表現した。

 野村忠宏の負け知らずのオリンピック、どの試合が印象に残っていますか?

「アトランタのオジョギンとの3回戦ですね。あの逆転したやつ。投げられて、圧倒されて、でも逆転しました」

この記事は雑誌『Number』の掲載記事です。
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