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バブルと、Jリーグと、W杯。
平成はサッカーの時代だった。
posted2019/04/11 17:00
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph by
AFLO
平成はサッカーの時代だった。
……と大上段に書き出したのは、もちろん改元が迫っているからだ。
史上最高値に沸き立つ東証の手締めの映像、「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」と涙ながらに叫ぶ社長の記者会見。そんな平成を象徴するシーンをテレビで目にするたびに、その認識は強くなる。
「バブル」とその「崩壊」から始まった時代だった。「失われた20年」を過ごした30年間だった。
そんな時代にあって、数少ないサクセスストーリーを演じたのが、サッカーだった。
「もし1年遅かったらJリーグは……」
日経平均株価が3万8915円の史上最高値を記録したのは平成元年(1989年)の大納会である。世界の企業ランキング(時価総額)トップ20社のうち14社を日本企業が占め、三菱地所がロックフェラーセンターを、ソニーがコロンビア映画を買収。(いさかかヒンシュクを買いながらではあったが)ジャパン・マネーはまさしく世界を席巻していた。
平成の幕開け、日本は紛れもなく絶頂にいたのだった。
このときJリーグはまだ存在していない。しかし、(以前にも書いたが)日本リーグ活性化委員会で「スペシャルリーグ」構想が立案されたのがこの平成元年。まだアマチュアリズムが強かった当時、「プロ」という言葉を巧みに伏せながら、それでもプロリーグ設立へと動き始めたのは、小渕恵三官房長官が「平成」の額を掲げた2カ月後のことである。
このタイミングで踏み出すことができた背景にあったのは、もちろん活況な日本経済だ。活性化委員会の委員長を務めた小倉純二(後にサッカー協会会長)が「もし1年遅かったらJリーグは誕生しなかったかもしれない」と語ったことがあるが、企業の業績がよく、自治体の税収も豊かだったこの時期だったからこそ、プロ化というギャンブルに打って出ることができた。