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武豊とルメール、尊敬しあう間柄。
「ユタカさんはずっと憧れの先輩」 

text by

平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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photograph bySatoshi Hiramatsu

posted2019/03/01 08:00

武豊とルメール、尊敬しあう間柄。「ユタカさんはずっと憧れの先輩」<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

2018年末、自身の持つJRA年間最多勝記録に迫ったルメール騎手と言葉を交わす武豊騎手。

「ユタカさんを抜けたとは……」

 こう言った後、例としてあげたのはアーモンドアイで制したオークスだった。

「桜花賞は後方からモノ凄い末脚で勝っていました。その馬で、オークスは先行して抜け出した。前に勝った時とまるで違う競馬をさせるのは、なかなか難しい。ましてそれで勝つのは更に難しい。それをいとも簡単にやってのけるのは技術面を含め、色々な面に長けているからだと思います」

 一方、新記録を達成したルメール騎手は言う。

「ユタカさんは僕がフランスにいる時からの憧れのジョッキーであり、尊敬する先輩です。その気持ちは日本に来てからも同じで、ずっと持ち続けています。今回は、そのユタカさんの偉大な記録を更新できて、とても嬉しいです」

 でも、と言うと、さらに続けた。

「でも、記録を1つ抜けたからと言って、ユタカさんを抜けたとは思っていません。彼が憧れの存在であり僕の大きな目標とするジョッキーであることは、今でも変わりありません」

 日本の競馬界では長らく続いた武豊王朝だが、これでルメール騎手は2年連続でのリーディング獲得。新たなる時代を構築しつつある。

リーディング争いから遠ざかったが。

 しかし、冒頭に記したように、そんな風潮をストップせんと立ち上がったのが、だれあろう武豊騎手だ。

 '10年には落馬による大怪我で長期の休養を余儀なくされた。デビュー以来初めてとなる長期の戦線離脱に、さすがのキングも焦りを覚えた。無理を押しての復帰が、余計に患部を刺激し、思うような騎乗ができなくなった。

 デビュー2年目にスーパークリークで制した菊花賞以来、毎年連続で勝ち続けて来たJRAでのGI勝ちも'11年にはついに未勝利。23年連続という記録で途絶えてしまった。成績は下降し、'12年にはついにデビュー以来最低となる56勝まで勝ち星が減ってしまった。

 いつしかリーディング争いは地方から来た戸崎圭太騎手や外国から移籍したミルコ・デムーロ騎手、そしてクリストフ・ルメール騎手らが演じるようになり、かつて天才ジョッキーの名をほしいままにしていた武豊騎手がそれに加わることはなくなった。

【次ページ】 個人馬主の馬のみで26勝。

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