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菊池雄星、10年前の涙を越えて。
「やっと行けるという気持ち」 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byAFLO

posted2019/01/07 11:50

菊池雄星、10年前の涙を越えて。「やっと行けるという気持ち」<Number Web> photograph by AFLO

念願のメジャー挑戦を現実にし、菊池雄星は最高の笑顔でマリナーズへの入団会見に臨んだ。

恩師の胸にいまも残る「後悔」。

 そして、あの日の会見で、菊池は大粒の涙を流したのだった。

 1年の冬から描いてきた夢を封印したことでたくさんの思いが去来したからだ。

「あの瞬間、子どもの夢を取ってしまったと思いました」

 そう語ったのは、菊池の恩師、花巻東の佐々木洋監督だ。

「今、メジャーに行く夢を実現するのは嬉しいですし、頑張って欲しいなと思いますけど、苦労をかけてしまった。そっちの想いの方が強い」と胸の内を漏らした佐々木は、9年前の出来事をこう回想している。

「雄星の3年後に大谷が『高卒でメジャーに行く』という会見を開きましたけど、正直に言って、あの時は扉を開けるのは軽かったと思います。1度扉を開けようとした雄星がいましたから。

 しかし、雄星の時は違いました。高卒でメジャーに行くという新しい扉を開けようとした瞬間にものすごい風が吹きました。本人には『好きな進路を選べ』と言いました。『俺は叩かれても構わない。行きたいところに行け、後押しする』と。

 当時は、常に人と違う道を行ってもらいたいという話をしていました。高卒からメジャーに選手が行く時代は必ず来る。やるなら先に行って新渡戸稲造のように太平洋の架け橋になれという話もしていたんです。でも、最後の最後、一番ビビったのは私でした。本人に夢を諦めてくれとは言わなかったですが、あの記者会見で泣かれた時、私が遠回しにそっちの方に導いてしまっていたのかな、と。子どもの夢を取ったと思いました」

 実はあの会見の時に菊池は、滅多なことで息子の進路に口を挟まない両親から「アメリカに行って欲しかった」と心情を伝えられている。「アメリカだと自由にやれるけど、日本だと1年目から結果を出さないと叩かれるから」だという。

現在は複数のトレーナーと個人契約。

 両親が想像したように、菊池はプロ入り後、苦労を重ねた。

 よく言われるコーチとのいざこざがクローズアップされるが、実際はそれだけではない。たくさんの苦労を重ね、一時はストレートの球速が135キロまで落ちたこともあった。それでも這い上がって夢を実現させるところまで立ち直れたのは、彼の地道な取り組みがあったからに他ならない。

 菊池はプロ2年目のオフからメンタルコーチの指導を受けている。その他、たくさんのトレーニングを体験した中で、現在はストレングス、コンディショニングのトレーナーとパーソナル契約。身体のケアやデータのアナリストの指導も受けている。さらにはメジャー移籍を実現するため、英会話の勉強も欠かさずに続けてきた。

【次ページ】 消費せず、投資に徹する男。

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