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浦和一筋で17年走り続けた平川忠亮。
小野伸二、大槻コーチらとのドラマ。
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph byJFA/AFLO
posted2018/12/15 11:30
天皇杯で有終の美を飾った平川忠亮。彼が過ごした17年間は、浦和がビッグクラブになる過程そのものだった。
ミシャ体制でレギュラー奪還。
2001年の北京ユニバーシアードでは日本代表のキャプテンを務めた。坪井慶介(現・レノファ山口)、巻誠一郎(現・ロアッソ熊本)、羽生直剛(元FC東京など)らとともに優勝を果たす。同世代が1999年のナイジェリアワールドユース(現U-20W杯)準優勝を果たした活躍ぶりに刺激を受け、チーム一丸となり、少しでも近づきたいと思っていた。
大学卒業後の2002年、浦和に加入する。「どうやら伸二が僕のことをレッズに推してくれていたようなんです」と平川は明かす。そんな人生の重大な局面でも、小野のさりげないアシストがあったとは……。
その浦和では2年間、小野とともにプレーし、リーグと天皇杯優勝、ACL制覇を果たした。幸先よいキャリアのスタート。ただその後はチームとともに、浮沈を繰り返すシーズンを過ごした。世代交代が急速に進められたフォルカー・フィンケ体制下では出番を失った。
だが2012年のミハイロ・ペトロヴィッチ監督就任後、3-4-2-1のウイングバックで再生を遂げ、レギュラーポジションを奪い返す。ここ数年はよりエネルギッシュな若手が台頭していたが、ただACLなどとの連戦も多いなかで経験値のずば抜けた平川は重宝された。
加えて2011年、そして今季、チームがまさかの低迷をしたとき、選手の間で、スタッフとの間で、コミュニケーションをとる役割を担ったのがチーム最年長の彼だった。
数多くの仲間に助けられて。
サイドを支え、チームを支える役割を担ってきた。
ただ、平川はこんなことも話していた。
「プロでやっていける、という手応えは実はあまりないです。良いプレーができたと思えば、次の試合では続かないことも多くありました。そのたびに、大滝先生から言われた『調子に乗るな!』という言葉を思い出して(苦笑)。そこで客観的に自分を分析し、謙虚にやる。それしかありませんでした」
そんな彼を駆り立ててきたのがチームメイトへの感謝の気持ちだ。
「自分を信じてパスを出してくれた仲間、自分のクロスを信じてゴール前へ走り込んでくれた仲間、自分のミスを何度もカバーしてくれた仲間、数多くの仲間に助けられ、ここまで来ることができました」(セレモニーでの平川のあいさつより)。
彼らのために、できることは走ること。苦しいと思うことはなかったそうだ。