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浦和一筋で17年走り続けた平川忠亮。
小野伸二、大槻コーチらとのドラマ。
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph byJFA/AFLO
posted2018/12/15 11:30
天皇杯で有終の美を飾った平川忠亮。彼が過ごした17年間は、浦和がビッグクラブになる過程そのものだった。
「伸二なしには語れない」
そのサッカー人生について平川は「小野伸二(現・北海道コンサドーレ札幌)なしには語れない」と振り返る。
「人生のターニングポイント」について取材した際、彼は「僕のサッカー人生は伸二との出会いから始まった。そう言っても過言ではありません」と言い切っていた。
2人は小学校の静岡県選抜で出会い、合宿や遠征で同部屋になることが多く打ち解けていった。別々の中学に進んでからも連絡を取り合い、平川が進学先を決める際には、小野から「一緒にやろうよ!」と誘われた。
平川は中学では県選抜に選ばれず、サッカーももちろん大好きだがややヤンチャに過ごしていた。そして兄が通う地元の工業高校に進もうかと考えていた矢先、小野の誘いで人生が変わった。
「あの伸二の一言がなければ、今の僕はいなかった」
平川は小野とともに名門の清水商業高校(現・清水桜が丘高)に進む。高校3年時には全日本ユース準優勝、インターハイベスト8に進出。そして超高校級の小野は浦和への加入を決断し、一方、平川にも複数のJクラブから獲得の話が届いた。
辛いことも笑ってやり遂げる。
もちろんJリーグでのプレーは目標だったが、平川は焦らない。プロでは絶対に通用しないとも感じ、筑波大に進学する。ちなみに清商の大滝雅良監督(現・清水桜が丘高監督)は平川について、「小野や池端陽介(現・沖縄SV)といったレベルの高い選手たちに刺激を受けながら、辛いことも笑ってやり遂げる、明るい努力家でした」と振り返っていた。
筑波大では、コーチを務めていた大槻毅氏(現・浦和コーチ)、天野賢一氏(元浦和コーチ)から多大な影響を受けた。
「高校時代は伸二におんぶに抱っこ。小さなミスをしても、多少パスがずれても、すべて伸二が何とかしてくれた。思い切り走れば、必ずいいパスが来ました。でも大学ではそうはいかない。何とかなるだろう、では済まない。そこで、大槻さんと天野さんの戦術に関する具体的な理論や戦術の指導を受けたお陰で、知識を身につけることができました」