勇利アルバチャコフの名言
ノープロブレム。
勇利アルバチャコフ(ボクシング)
2018/09/24
ソビエト連邦崩壊前年の1990年。ゴルバチョフ書記長が進めた開放政策「ペレストロイカ」によりソビエト人プロボクサーが世界各国で誕生することになった。日本では協栄ジムが数名のソビエト人ボクサーを受け入れ、1992年に勇利が真っ先に世界チャンピオンに。ちなみにベルトを獲ったときの世界戦は、あのミッキー・ロークの前座として開催された。バブル時代ならではのマッチメークである。本人は日本語が得意でなく、またマスコミの記者もロシア語が分からない。試合前に抱負を聞いても、片言の英語で「ノープロブレム」としか言わないので、「ミスター・ノープロブレム」のあだ名がついたという。
Number959号(2018/08/16)