勇利アルバチャコフの名言
ノープロブレム。
勇利アルバチャコフ(ボクシング)
ソビエト連邦崩壊前年の1990年。ゴルバチョフ書記長が進めた開放政策「ペレストロイカ」によりソビエト人プロボクサーが世界各国で誕生することになった。日本では協栄ジムが数名のソビエト人ボクサーを受け入れ、1992年に勇利が真っ先に世界チャンピオンに。ちなみにベルトを獲ったときの世界戦は、あのミッキー・ロークの前座として開催された。バブル時代ならではのマッチメークである。本人は日本語が得意でなく、またマスコミの記者もロシア語が分からない。試合前に抱負を聞いても、片言の英語で「ノープロブレム」としか言わないので、「ミスター・ノープロブレム」のあだ名がついたという。
Number959号(2018/08/16)
- << 前の名言
- 次の名言 >>
勇利アルバチャコフの最新記事

NumberWeb Topics
父が死んで発覚「借金30億円」亀田家と和解も…ボクシング興行師・金平桂一郎の波乱万丈な人生「赤坂で生まれ育った男」なぜ“大阪・西成”に?
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
ボクシング
2025/08/09

ボクシングPRESS
亀田家と和解、大阪・西成で再起…興行師・金平桂一郎が抱く新たな野望「中央アジアからボクサーを輸入する」“井上尚弥”というボーナスタイムへの危機感
栗田シメイShimei Kurita
ボクシング
2025/08/04

ボクシングPRESS
死んだ父が残した借金30億円完済も「酒に逃げた…」“このままじゃ確実に死ぬ”と診断された金平桂一郎を救った亀田興毅という宝物
栗田シメイShimei Kurita
ボクシング
2025/08/04
