NumberWeb TopicsBACK NUMBER
父が死んで発覚「借金30億円」亀田家と和解も…ボクシング興行師・金平桂一郎の波乱万丈な人生「赤坂で生まれ育った男」なぜ“大阪・西成”に?
posted2025/08/09 11:00
大阪・西成にある「TMKボクシングジム」で会長を務める金平桂一郎。今年11月で60歳となる
text by

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
NumberWeb
100キロを超える巨体を揺らし、西成の商店街を闊歩する男がいる。港区・赤坂で生まれ育った彼は、この街に必死に溶け込もうとしていた。
目の下の大きなクマが特徴的なその男の名は、金平桂一郎。かつては協栄ボクシングジムの2代目会長として、ボクシング界の中心にいた人物だ。
「東京とは勝手も、人付き合いの仕方も違う。でもそれが新鮮で、救われた面もあります」
ADVERTISEMENT
金平と何度か酒席を共にした者の証言によれば、酒癖は褒められたものではなく、同伴者に咎められる場面にも遭遇したという。サービス精神旺盛な性格は、ボクシングの興行師として生きてきた軌跡を垣間見せる一方で、転落を経験したであろう危うさも同時に感じさせた。
「ボクシングの品位を下げた人物だ」
2007年、亀田大毅と内藤大助の世界戦で大毅が反則行為を繰り返した際、金平の一挙手一投足もメディアで連日報じられた。ボクシング関係者の間では今も「亀田家と一緒になりボクシングの品位を下げた人物だ」と表現される金平だが、時折見せる屈託ない表情からは、単純に"悪人"として片付けられない複雑さも感じられた。
金平は1965年、協栄ボクシングジムの実質的創始者である父・正紀の長男として生まれた。父は広島・呉市出身で、一代で協栄ジムを名門に押し上げた立志伝中の人物だった。
「父は、格闘技はエンターテインメントだ、という意識が強い人でした。そこに本質がある、と。だから、様々な分野の一流どころと会うことが仕事に繋がると考えていた」
金平の父・正紀は、芸能界では勝新太郎や萬屋錦之介、政界では田中角栄など多彩な交友関係を持ち、プロモーターとして100戦以上の世界タイトルマッチをまとめ上げた。
しかし、その一方で父は息子をボクシング界に入れることには消極的だった。「俺はたくさん敵を作り苦労した。だが、お前には敵を作ってうまくやれる実力がない」と諭し、「とにかく人を不快にさせるな」と教えていたという。
1999年3月、正紀が大腸がんで65歳で亡くなると、金平がジムの会長を継ぐことになった。だが、帳簿を確認した新米会長に驚愕の事実が突きつけられる。
「借金30億円」
途方もない負債は、後の金平の人生に大きな影響を与えることになる。〈本編につづく〉
