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“マドンナジャパン”初の女性監督は、
私の高校で初の女子部員だった!

posted2018/09/06 07:00

 
“マドンナジャパン”初の女性監督は、私の高校で初の女子部員だった!<Number Web> photograph by Kyodo News

橘田恵監督(右端)は高校卒業後、仙台大で公式戦出場も果たした。2017年には履正社の監督として女子野球の高校日本一も経験。

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田中大貴

田中大貴Daiki Tanaka

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Kyodo News

 第8回WBSC女子野球ワールドカップの決勝が、8月31日に米国フロリダ州で行われ、台湾に6-0で快勝した日本が、6大会連続となる優勝を果たしました。

 現在まで「W杯30連勝&6連覇」を達成している「マドンナジャパン」こと女子野球日本代表。

 敵なしの強さを支えたのは、今大会9試合でわずか4失点という安定した守備力でした。

 昨年5月に就任した橘田恵(きった・めぐみ)監督が「みんな粘り強く守ってくれた」と選手たちを讃えている間、私はとある感慨に浸っていました。

「20年前の橘田のグラブ捌きと同じだ……」

 実況放送席から見ていて、内野手の吉井温愛や田中美羽らのグラブ捌きに、20年前の橘田恵監督の姿が重なったのです。

野球部初の女子部員が入部!?

「どうしても、どうしても、野球部に入れて欲しいんです」

 当時、兵庫県立小野高校で野球部の主将を務めていた私は、ある女子生徒から入部したいという打診を受けていました。

 女子禁制の我が野球部でしたが、ついに私は彼女の熱意に折れて「特別扱いはしない」という条件を前提に、学校の100年の歴史の中で初めて女子部員を入部させることにしました。

 それが、橘田恵でした。

 レベルが追いつかなければ、実戦形式の練習には入れない。そんな状況の中で、午後3時30分に練習が始まってから陽が暮れるまでグラウンドの隅で1人、橘田は延々と壁に向かってボールを投げ、はね返ってきたゴロを捕るという練習を繰り返していました。

 すると、日に日に彼女のグラブ捌きは鮮やかになり、捕球姿勢は美しくなっていきました。

 結局、彼女が高校野球の公式戦に出場することは叶いませんでしたが、根気強く取り組んでいた壁当てが、やがて世界の頂点へと繋がっていきます。

【次ページ】 あれから20年後……彼女は監督に!

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