“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
昌子源の悔しさに学んだ高校3年生。
“鹿島のCB”を背負う男、関川郁万。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/08/31 16:30
Jクラブ入りによる異常な期待にもようやく応える覚悟ができた、という関川郁万。
「狙われたのは、自分の弱さがあったから」
「僕自身何もできなかったし、すべてで負けた印象です。
ボールを運んできた相手選手に対して、『クリアできる』と安易に思ってしまい、あまりにも不用意に行き過ぎてしまった……。(前半アディショナルタイムという)時間帯もそうだったし、もっと全体を考えて冷静に判断をしてプレーすべきでした」
復帰直後の難しさを感じると共に、周囲から自分にのしかかっていた巨大なプレッシャーも痛烈に感じる試合となった。
「習志野は明らかに僕のところを狙ってきているのが分かった。復帰直後だということに加えて、僕がイライラしてしまう性格であることを分かっていたので、余計に狙ってきたのだと思います。狙われたのは、自分の弱さがあったから。
自分はアントラーズに内定している分、試合を観に来てくれている人に『さすが関川だな』と言ってもらえるようなプレーをしなきゃと思ってしまった。でもとにかく身体が重いし、思うようにプレーできない。試合が経過していくにつれて、『まずい、まずい……』と思っていきました」
“鹿島内定の関川郁万”への期待。
心と身体がバラバラで、気持ちばかりが焦っていく。
春先から試合に出ていれば、そこまでの混乱は起きなかったはずだ。しかし、ずっと実戦から遠ざかっている内に、「選手権でのインパクトがより大きくなってしまったのだと思います」(関川)。
“鹿島内定の関川郁万”に対する注目度と期待値が信じられないほど膨らんでしまっている周囲の状況に、関川は冷静さを保つことができなかったのだ。
「関川ってこんなものなんだね」
試合後、周囲の厳しい声が彼の耳にも届いてきた。
「もう情けないというか、『あ、俺ってこんなに簡単にやられてしまうんだ』と思いましたし、習志野戦からしばらくは……正直いろんな感情がわき起こりました」
だがそんな時、鹿島の偉大な先輩が、そのプレーをもってして関川に大きな「教え」を与えてくれたのだ。
ロシアW杯で見た鹿島のCBである昌子源が見せたプレーが、関川にとって大きな衝撃となったのだ。