ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
悪性リンパ腫と闘う垣原賢人へ、
鈴木みのるからの厳しすぎるエール。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byYukio Hiraku
posted2018/08/17 11:00
鈴木みのるのチョークスリーパーに苦しむ垣原賢人。ただリングに上がっているだけでも凄いことなのだ。
4歳年上の恐ろしい先輩だった。
垣原にとって鈴木みのるは、特別な存在であり、一番苦手な相手でもある。
'89年に16歳で新生UWFに入門したときの4歳年上の先輩。当時弱冠20歳だったのちの“世界一性格の悪い男”は、それはそれは恐ろしく、道場でのスパーリングでボロボロにされ、毎日地獄の苦しみを味わわされた。
その一方で、リングを降りれば、厳しい上下関係こそあるもののかわいがられ、約2年間、練習もプライベートも常に行動をともにした。忘れようにも忘れられない先輩が、鈴木みのるなのだ。
UWF解散後、垣原はUWFインター、鈴木は藤原組(のちにパンクラス)に分かれたこともあり、これまで対戦する機会はなく、今回が正真正銘の初対決となる。
しかし、いまの垣原にとって、鈴木みのるはあまりにも強大すぎる相手だ。
高山善廣に少しでも力を与えたい。
悪性リンパ腫発症後、垣原は抗がん剤の影響で、約90kgあった体重が60kg近くにまで激減。現役引退後も保ち続けていた美しいマッチョな身体は「まるでおじいさんのように」(垣原談)なってしまった。
それでも厳しい食事療法を含めた治療に取り組み、少しずつ身体も鍛え直し、'15年の「カッキーエイド」ではリング上から挨拶するのがやっとだったのが、昨年の「カッキーライド」では、藤原喜明を相手に“復帰戦”を行えるまでになった。
ただ、その時は打撃を禁じた寝技だけの「スパーリングマッチ」であり、本格的な試合は今回が7年ぶり。
本来、リングで試合ができるようになったことだけで奇跡であり、現役トップの鈴木と、メインイベントで闘うのはあまりにも無謀だ。
それでも垣原がこの試合を決断したのは、がんという人生最大の敵に立ち向かう姿勢をリングで見せようとしたこと。そして、それによって頚髄完全損傷の重傷で首から下が動かない中、懸命のリハビリを続けるUWFインター時代の後輩、高山善廣に少しでも力を与えたいと思ったからだ。