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甲子園13本塁打の金属バットと
再会した清原和博の「告白」。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2018/07/26 18:00
1985年、夏の甲子園決勝、PL学園対宇部商の試合で歴代最多の通算13本目となる本塁打を打った金属バットと再会した清原和博氏。
清原はバットを地面に置かなかった。
現在、阪神タイガースでコーチを務める片岡篤史は、PL学園時代、バットを抱えたまま寝ていたという。
2つ上の先輩の清原がそうしていたからだ。
その後、片岡の1つ後輩で、清原とは直接、プレーしていない宮本慎也も大事な試合の前になると、バットと一緒に布団に入ったという。
清原がそうしていたと、先輩たちから聞いたからだ。
当時、PL学園の監督だった中村順司も思い出すことがある。
「清原はいつもバットを大事に扱っていました。練習前にベンチでトレーニングシューズからスパイクに履き替えるでしょう。その時、清原は必ずシューズのかかとの部分に持っているバットを置いて、直接、地面につかないようにするんです」
バッティング練習を終えて、走りに行く時は、グラブを置いて、その上にバットを立て掛けた。本当に清原はバットを身体の一部のように扱っていたのだ。
甲子園のためだけに準備した特別なバット。
1985年、PL学園の4番・清原和博は最後の夏を前に金属バットを用意した。甲子園のためだけに準備した、特別なものだった。
準々決勝・高知商で中山裕章から、歴代最長距離となる衝撃のホームランを放ったのも、滋賀・甲西との準決勝で2本打ったのも、そして、宇部商との決勝戦で、自らを伝説にした2本を打ったのも、そのバットだった。
PL学園がサヨナラ勝ちで優勝を決めた瞬間の写真には、高々とバットを掲げた清原が映っている。
その後、プロ入りしてからは実家に飾ってあったという。そして、2010年の開館を前に、高校野球の歴史を保存する甲子園歴史館から要請を受けて、展示用に貸し出した。
あの栄光のバットは甲子園最多13本塁打の記録保持者のものとして、歴史館を入ってすぐの最も目立つ場所に飾られていた。
ただ、2016年2月、覚醒剤取締法違反で逮捕されると、そのバットは撤去される。華やかな場所から、薄暗い倉庫へ。清原とともに表舞台から姿を消したのだ。