濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
柔術家・関根“シュレック”秀樹、
プロレスデビューでUWFの夢実現。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2018/07/15 07:00
1973年、静岡県生まれ。40代にして夢の一つを叶えた関根秀樹。177cm、118kgの体躯はプロレスラーとしても説得力充分だ。
入場曲はオブライトと同じ『Thunderstruck』。
ハードヒットで関根が入場時に使っている曲は、Uインターのエース外国人だったゲーリー・オブライトと同じ『Thunderstruck』だ。
「自分のアイデンティティーを作ったUインターの系譜」にある舞台での、いわばオマージュだ。しかも、試合をさばいたのがUインターと同じ和田良覚レフェリーだった。
「入場から涙が出そうになっちゃいましたね。UWF、Uインターは自分が二十歳前後、就職するまでの掛け値なしの青春だったので。その(流れをくむ)リングに20年以上経って上がれるなんてね、もう……」
決め技はオブライトばりのジャーマン!
ファイトスタイルもオブライトばりだった。インディーマットの新鋭の中でも、とりわけ“プロレス頭”がきく阿部にゴングと同時の奇襲を食らったが、打撃をしのいで組み付くと、あとは“ちぎっては投げ”状態だ。
ベリー・トゥ・ベリー(フロントスープレックス)でマットに叩きつけてダウンを奪い、フィニッシュはジャーマン・スープレックス。足を取ってビクトル投げで切り返そうとする阿部を強引に持ち上げての“ぶっこ抜き”の一発である。
大学の柔道部でも「オブライトが目標」で「ジャーマンやバックドロップの練習をしてました。圧倒的なパワーと存在感に憧れて」と関根。勝利の証として和田レフェリーに右手を上げられ、マイクを握ると声が詰まった。
「UWFルールは僕の青春でした。オブライト、ベイダー……死んじゃいましたけど、まだUWFの灯は消えてません。もうすぐ、僕が若いころに夢中になった垣原(賢人)さん、高山(善廣)さんの興行もあります。みなさん行きますよね?」