野球善哉BACK NUMBER
野茂や大谷が切り開いた道の先へ。
16歳で渡米する結城海斗に幸あれ。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKyodo News
posted2018/07/12 11:00
結城海斗が下した「甲子園を目指さない」という決断は、現在の日本野球界では勇気がいる決断だったことだろう。
大谷「野茂さんがアメリカで結果を残して……」
いまではメジャーリーグを目指すのは当たり前になったし、日本人メジャーリーガーを見て育った世代がプロ野球界の中心で活躍する時代になっている。
そんな野茂の姿に、自身の将来を重ねようとしていた選手が現れた。
大谷翔平である。
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高校3年のとき、ドラフト会議を控え高卒でのメジャー挑戦を表明する以前にこんな夢を語っていたものだ。
「野茂さんがアメリカで結果を残して、日本人の目標のレベルが変わってきた。自分もそうして世界レベルで活躍できる選手になりたい」
当時から大谷には野心があった。限界への挑戦、前例のない戦いの突破だ。それは、花巻東高校で3学年上の先輩・菊池雄星(西武)が同じように高卒でのメジャー挑戦の意向を持ちながら断念したこととは関係ない。
「野球のレベルはそうやって上がっていく」
大谷は、こうも話していた。
「僕が高校で160キロのストレートを投げることを目指したのは、誰もやったことないことをやりたかったからでした。『160キロを目指す』といったら、誰も信じないと思うんですけど、でも本当に160キロを出す人が1人現れたら、今度は、みんながそこを目指すようになる。
野球のレベルってそうやって上がっていくんだと思います。目標のレベルが高くなれば、野球のレベルは高くなる。僕はそれができる存在になりたい」
大谷は「高卒でメジャーリーグでの成功」という前例をつくることはできなかったが、その代わりに、新しい前例なき戦いを見つけることで野球界に変革を起こそうとした。
それが二刀流だった。
日本球界にいるときも、今年メジャーリーグに籍を移してからも、彼の前例なき戦いを前向きにとらえる人はそう多くはいなかった。しかし、シーズン開幕から大谷がみせた“二刀流レボリューション”は、今も日米の野球ファンを熱狂の渦に巻き込んでいる。