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鈴木啓太が語る代表デビュー戦秘話 

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鈴木啓太

鈴木啓太Keita Suzuki

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posted2018/05/25 10:00

鈴木啓太が語る代表デビュー戦秘話<Number Web> photograph by AFLO

「水を運ぶ」以外もやってみたかったけど。

 日本代表では、あの試合をきっかけに2年弱くらいプレーしました。

 オシムさんの要求に対するパフォーマンスという意味では、もしかしたら、一番うまく表現できていたのかもしれません。あんなに素晴らしい監督に評価してもらえて、ずっとスタメンで使ってもらえたことが、ひとりの選手として本当に嬉しかった。でも、まあ、オシムさんはのちに「啓太がもう少し攻撃的にプレーできる選手だったら、日本は2ランク上だった」と言っていたみたいですけど(笑)。

 そりゃあ、僕だって「水を運ぶ」以外の仕事をやってみたかったですよ。シュンさん(中村俊輔)のようなキックをしてみたい。とんでもないスルーパスを通してみたい。でも、できないんです。モノが違うんですから。

 中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛と僕で中盤を構成した時は、冗談抜きで「夢じゃないよな?」と思いました。あの3人に囲まれたら、「“あと一人”が俺!?」と思いますよね。あの人たち、ホントに、マジでめちゃくちゃうまいんですよ。だから「そうか! この人たちのために一生懸命に走らなきゃ!」と覚悟を決めるしかない。僕の気持ち、わかるでしょ? 水を運ぶしかないんです(笑)。

2年間の禅問答は、今も判断の基準。

 あのトリニダード・トバゴ戦のピッチに立ったことで、止まっていた時計の針がもう一度動き始めました。

 アテネ五輪の最終メンバーから落選して以来、僕にとっての“日の丸の時計”は止まっていました。それが、あの試合でピッチに立って、自分でも「楽しい」と感じられるプレーをすることができたことで、もう一度動き始めたという感覚を持つことができた。

 それからの2年間は、自分にとってものすごく大切な時間でした。その時間が充実していたからこそ、病気で代表から遠ざかってしまっても少しの後悔もなかった。それくらい楽しかったんです。楽しかったというか、とにかく充実していた。

 日本代表で過ごした2年間は、僕にとっての生きる指針です。オシムさんは絶対に答えを見せない。すべてを選手たちに考えさせる。その言葉はすべて、人生につながっている気がしました。

 サッカーを介したオシムさんとの禅問答は、僕にとって、いまも物事を判断する基準です。あの2年間で、僕はサッカー選手としてだけではなく、人間として育ててもらいました。

(構成:細江克弥)

鈴木 啓太(すずき けいた)

1981年7月8日、静岡県生まれ。'06年、サッカー日本代表監督にイビチャ・オシムが就任すると、キリンチャレンジカップのトリニダード・トバゴ戦で日本代表デビュー。オシムジャパンでは唯一全試合スタメン出場を果たす。アジアカップ2007をはじめ、国際Aマッチ28試合。'15年に現役を引退し、現在はサッカー解説者、AuB株式会社代表取締役。

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