来た、見た、書いたBACK NUMBER
宇佐美貴史は西野監督の“スペシャル”。
地面にはいつくばったこの2年。
posted2018/05/25 07:00
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph by
Asami Enomoto
4年前、W杯ブラジル大会に挑む23人の名が当時の指揮官、アルベルト・ザッケローニから読み上げられるのを宇佐美貴史は自宅のテレビの前で見つめていた。
「ウサミ」の名前がイタリア人指揮官の口から出てくることはない、と知りながら。
前年のシーズン途中に期限付き移籍から復帰したガンバ大阪ではJ2というステージながら18試合で19得点。ハイペースで得点を量産し、1年でのJ1復帰に貢献した和製エースだったが、2014年2月に左腓骨筋腱脱臼の負傷を負い、全治8週間と診断されたのだ。
病院からクラブハウスに戻る途中、チームドクターが運転する車内で「もうW杯、無理や」と涙したという宇佐美。ブラジル大会のメンバー入りに向けて最後のアピールの場となるはずだったJリーグで出遅れたこともあり、彼の中でも「落選」は既定路線。だからこそ、4年前に改めて心に刻んだことがあった。
「悔しくないと思っていたけど、発表を2時から見ていて悔しかったし、目標にしていたところに辿り着けなかったことで次の大会に向けて更に気持ちも強くなった。次は絶対に出なければいけない年齢。そういう意識でプレーして行きたい」
壁に何度もぶち当たる人生を選んで。
ブラジル大会終了後のJリーグではガンバ大阪の三冠独占に貢献し、2015年にはヴァイッド・ハリルホジッチ新体制の日本代表で待望のA代表デビュー。レンタル移籍から復帰した当時「ガンバで一時代を築く」と公言した通りの活躍を見せた宇佐美は2016年6月、再び海を渡ることを決意した。
「バロンドールを目指す」という野望を口にした19歳当時とは異なり、2度目のドイツ挑戦を前に宇佐美はお別れのセレモニーで実に示唆的な言葉を口にした。
「壁にぶち当たってこけて、またぶち当たってという人生を選びました」
移籍したアウクスブルクでは11試合で無得点。一時、ガンバ大阪のクラブ幹部も復帰に向けた誘いをかけたというが、「2度目は粘り強く、地面にはいつくばってでも努力を重ねる」という言葉を宇佐美は体現した。
昨年8月に期限付きで移籍したフォルトゥナ・デュッセルドルフでは、徐々に本来の輝きを見せ始め、6年ぶりのブンデスリーガ1部昇格に貢献したのだ。