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メドベデワと羽生結弦が同門へ。
「最強チーム」で北京五輪に挑む。
text by
野口美惠Yoshie Noguchi
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2018/05/09 17:00
ルール変更はメドベデワにとっても追い風となる可能性が高い。北京オリンピックへ向けて最高のスタートを切った。
悲しい表情を人前では見せなかったが……。
ザギトワより3歳年上のメドベデワ自身も、記者会見やメダルセレモニーでは笑顔も見せ、ショックを表向きは隠そうと努めていた。
記者から「本当に銀メダルで満足なのですか?」という質問を受けたときも、クビからかけていた団体戦の銀メダルと個人戦の銀メダルがぶつかり「カチン」と音を立てたことから、「このメダルの音色が私の答えです」と、大人びた対応で上手くはぐらかしていた。
メドベデワは最終日のエキシビションにも参加し、最後まで人前では悲しい表情も涙も見せなかった。
しかしトゥトベリーゼコーチによると、オリンピックの試合後に会場を出た時にメドベデワが「ザギトワがシニアに上がってくるのを1年延ばすことは出来なかったのか」といい、トゥトベリーゼは「誰にでも平等にチャンスはあるべきでしょう」と返答した一幕があったという。
18歳の少女の隠さざる失望感をコーチに打ち明けた言葉で、これを公表したコーチのモラルは疑われるが、本当だとすればメドベデワは相当の悔しさを笑顔の裏に押し込めていたことになる。
ロシア時代のコーチ達への敬意は忘れず。
平昌オリンピック後、3月にドイツで右足の精密検査を受けたメドベデワ。ケガは悪化しており、3月の世界選手権は欠場、2カ月間トレーニングを休むことに。ひとり今後の進路について考え直した末、4月2日、羽生のコーチであるブライアン・オーサーに、面会を申し出た。
4月末、オーサーと、メドベデワ、そして彼女の母親の3人は韓国のアイスショーの空き時間を使って面会した。メドベデワは「環境を変えたい」とだけ話し、「自分の練習環境やコーチについて悪いことは言いたくない」と話したという。オーサーは、彼女がこれまでのコーチ達への敬意の念を忘れない姿勢に感銘し、コーチを引き受けることを決意した。