“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「ロシアW杯は柴崎岳の大会」となる?
常に一歩先を読んで生きる男の挑戦。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/04/02 08:00
青森山田時代の柴崎岳。高校1年生から背番号「10」をつけ、チームを攻守にわたって牽引し続けていた。
ついに果たした海外移籍と、その苦難。
2017年1月に当時スペイン2部リーグのテネリフェに移籍。より上の存在を求めて、念願だった海外移籍を果たした。
入団直後はアクシデントの連続だったが、彼は頑ななまでに「帰国」という選択肢を選ばなかった。そして、なんとかして異国の地でピッチに立つため、あえて沈黙を守り続けた。
2月下旬、ようやくテネリフェでコンスタントにプレーするようになると、これまでの停滞が嘘のように新しい環境に適応してみせた。テネリフェの攻撃の中枢にまで成長すると、翌シーズンには1部昇格を果たしたヘタフェへの移籍を勝ち取った。
ヘタフェで託された背番号は10。コンディションも良く、絶好調で迎えたシーズン序盤の9月16日。リーガ第4節・FCバルセロナ戦では、バルセロナの無失点記録を破る、1部リーグ初得点を決めて世界に大きな衝撃を与えた。
しかし、その試合で柴崎は左足中足骨の骨折の怪我を負ってしまう。再び2カ月のチーム離脱となった。
とはいえ復帰後は、すぐに出場機会をつかみ、順調な回復ぶりを見せていた。だからこそ、ハリルホジッチ監督の目に留まり、W杯メンバー発表前最後のヨーロッパ遠征に臨むA代表選出に至ったのだ。
ハリル・ジャパンで求められているものは?
彼が鹿島、そしてスペインで磨いたもの。
それは間違いなく守備の力だった。
中学、高校時代にはチームの攻撃のタクトを握り続け、攻撃センスを存分に磨いた。
鹿島では守備のタスクを忠実にこなす術を覚え、スペインでは攻撃の要となりながらも、守備面での貢献が非常に大きいプレーを披露している。
そうやってこれまでもずっと成長し続けてきた……そんな中で、彼はハリル・ジャパンへの想いをこう語っていた。
「A代表には常に選ばれていたいと思うし、試合に出たいとは思っています。ただ、そこまでの評価は多分、まだハリルホジッチ監督にはされていないと思っています。
監督によって求められるところは違うので、その求められるところに対応していかないとそのチームには呼んでもらえない。
監督は『デュエル』という言葉を良く使いますが、やっぱり単純に1対1が強い選手が好きなのだと思う。それは、走力があって、きっちりとハードワークができる選手が好きだということ。その条件で僕が選ばれていないのは、ただ単に僕がまだそのレベルに達していないからだと分かっていますから」