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長洲未来、トリプルアクセル成功!
浅田真央の存在が人生観を変えた。
text by
野口美惠Yoshie Noguchi
photograph byRyosuke Menju/JMPA
posted2018/02/20 11:00
10代の頃から期待された潜在能力が、ついに開花。長洲のトリプルアクセルには観客も喝采した。
身体が変化し始め、負傷と不調に悩む。
その時の長洲は、身体が変化し始める16歳。身長が伸び、体重も増えるにつれ、トリプルアクセルを跳ぶどころか、他の3回転も跳べなくなっていった。
「水を飲んでも太るし、何を食べていいのか分からないです」
どんなに食事制限をしても、体重が減らない。無茶な練習から何度も骨折をし、常に身体のどこかを負傷している状況が続いた。'14年全米選手権は3位となり、ソチ五輪代表の座を逃した。
「とにかくソチ五輪には出られなくて、悔しかった。でも人生には悔しい気持ちを感じるときも大事って思い直して。それからは『もうチャンスを逃したくない』って思ったし、『自分の満足いく演技をしたい、それは何かな』と思うようになりました」
改めて自分にとってのスケートの夢を思い出す。それはバンクーバー五輪で見たトリプルアクセルだった。
「スケーターの競技人生は短いので、オリンピックでトリプルアクセルに挑戦するとしたら、24歳になる平昌オリンピックしかチャンスはない。ソチの涙をばねにしてトリプルアクセルを頑張ろう」
リバウンドしにくい身体を作った。
平昌五輪にむけて、4年計画が始まった。
「当時、太っていたけれど、まずはトリプルアクセルを練習しました」
'15年9月の国際大会で、初めてトリプルアクセルに挑戦。しかし回転不足の判定で、他のジャンプのミスもあり、ショート11位と出遅れる。試合で挑むには時期尚早だと痛感させられた。
「自分の頭の中で『トリプルアクセルを跳ぶためには、これとこれをしないと』と具体的な目標を決めました。週3回だったジムは週5回に増やしました。栄養士もつけて、単に食べないダイエットから、ちゃんとした食事制限を取り入れました。とにかく自分に厳しくしたんです」
食事は生野菜がほとんどで、フルーツを少し。肉も炭水化物も量を減らした。ジムでは筋トレに取り組み、リバウンドしにくい身体を作る。身体は年々、絞れていった。コーチも変更し、ジャンプを基礎からやり直した。
すべてはトリプルアクセルのため。しかし成功はないまま2年が経ち、'17年夏を迎えた。このシーズンオフが、集中的に練習するラストチャンスだった。