野球善哉BACK NUMBER
大阪桐蔭、「最強世代」のジンクス。
前評判が高い時ほど甲子園では……。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideki Sugiyama
posted2018/01/26 17:00
甲子園の常連となった大阪桐蔭と西谷監督。それでも気を緩めるどころか、危機感をもって戦いに挑む。
岩田、中村、西岡がいたのに甲子園を逃す。
印象的なのは、エースに岩田稔(阪神)、主砲に中村剛也(西武)、2年生に西岡剛(阪神)がいた'01年のチームだ。岩田の体調不良も影響したが、「大阪桐蔭最強世代」とされながら、甲子園優勝はおろか、夏の出場すら逃したのである。
西谷監督は言う。
「この時はPL学園にもすごい選手が集まっていたときだったんです。朝井秀樹(元楽天)、桜井広大(元阪神)、小斉祐輔(楽天)、今江敏晃(楽天)。だから、それに勝つためにはどうしたらいいかと目標をたてて、当時のチームは叩きあげで作っていったんですね。今でこそ中村は有名になりましたが、高校入学当時では今江君の方が圧倒的に知られていましたから。
中村らは1年からしっかり鍛えましたし、今までで一番練習した学年でした。大阪大会の決勝(上宮太子戦)では0-5から最終回に追いついて、延長にもつれ込んだんですけど、それでも負けてしまった。これだけ子どもたちが頑張っているのに、導いてやれなかった。なんと監督の力がないのか、と力不足を痛感しましたね。あの時勝たせてやれなかったことが、今も一番の後悔として残っています」
中田翔や浅村、藤浪が2年時のチームも……。
強さと結果が比例しなかったのはこのチームだけではない。
'07年のエースで4番の中田翔(日本ハム)を擁し、捕手に岡田雅利(西武)、二塁手に浅村栄斗(西武)がいたチーム、さらには'11年、藤浪晋太郎(阪神)が2年生エースだったときも西田直斗(阪神)らタレントが揃っていたが、どちらも夏の甲子園出場を逃しているのだ。
「夏の甲子園優勝には共通点があるんです。それは前年度の方が強いチームだったということです。最強チームで勝たせてやれなくて、ちょっと力が落ちるかなというチームで勝っている。'04年の夏、中田の代、藤浪が2年生の代の3回は、甲子園に出ていたら優勝候補だったと思います」
「最強チーム」にこのような歴史があるだけに、西谷監督は今回のチームが“最強世代”と呼ばれるのに抵抗があるのだろう。