野ボール横丁BACK NUMBER
ヘッドスライディングは自己満足か。
甲子園の「最後まで諦めない」の姿。
posted2017/09/01 11:00
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Hideki Sugiyama
この夏、ヘッドスライディングへの見方が少し、変わった。
夏の甲子園が開幕する直前、ある週刊誌の取材で2006年夏の準々決勝、智弁和歌山-帝京の取材をした。9回表、帝京が4点差を大逆転し12-8とすると、その裏、今度は智弁和歌山が13-12と大逆転し返すという劇的かつ壮絶な試合だった。
4点を追う帝京は、9回表、先頭の代打・沼田隼が三塁ゴロに倒れた。そのシーンについて、この日ホームランを含む4打数4安打と大当たりだった帝京の「5番・レフト」の塩沢佑太は、こんな風に話した。
「沼田は、楽々アウトのタイミングだったにもかかわらず、一塁へヘッドスライディングをしたんです。だから、ベンチのみんなは切れてましたね。思い出作りみたいなことすんな、って。負けムードが漂うじゃないですか。あんなの、自己満足ですから」
ヘッドスライディングはあきらめない姿勢なのか。
目から鱗だった。そう言えるチームは、確かに強いのではないかと思った。塩沢は、こうも語った。
「あの年のチームは、10-0で勝ってても、0-10で負けてても、同じ気持ちで戦うことができた。だから、あそこまで勝ち上がったんだと思います」
それらの言葉を聞き、帝京の9回表の逆転劇は、少なくとも偶然ではなかったのだと思った。
ただそんな帝京も、3ランで12-8と突き放したときは、塩沢いわく「あの夏、初めて勝ったと思ってしまった」という。そしてその裏、逆転を許した。
塩沢の言葉が残ったまま、今年の甲子園を観戦していた。すると不思議なもので、ヘッドスライディングは最後まであきらめない姿勢のように見えて、その実、あきらめているようにも見えてきた。塩沢が「負けムードが漂う」と言ったように、状況によっては、悲壮感が漂ってしまうのだ。