月刊スポーツ新聞時評BACK NUMBER
清宮はオヤジジャーナルの星だった。
プチ鹿島7月のスポーツ新聞時評。
text by
プチ鹿島Petit Kashima
photograph byHideki Sugiyama
posted2017/07/31 17:00
インタビューに対する受け答えもしっかりしていた清宮。この3年間の異常なフィーバーの下でよく活躍してくれた、と称えたい。
過去のスター選手は甲子園で活躍してから注目された。
父はラグビーのトップリーグ、ヤマハ発動機の清宮克幸監督。幸太郎少年もラグビーをやっていたが、2006年(7歳時)に早実の斎藤佑樹の試合を甲子園で観て野球を志した。2012年、リトルリーグ世界選手権で優勝。現地で「日本のベーブ・ルース」と報道される。2015年、早実に入学。
この時点で、清宮がかつての高校野球のスターとまったく違うことに気づいた。
荒木大輔、桑田&清原、松井秀喜、田中将大、斎藤佑樹……。彼らは甲子園で活躍してから注目された。
しかし清宮の場合は「入学時から一挙手一投足が注目されていた」のである。甲子園に出てない段階からで、かなり特殊。
中学卒業時の清宮をおさらいしてみる。
・お父さんも有名人。
・小・中学生時代に輝かしい実績がある。
・名門に入る。
この3点、そっくり当てはまるケースが過去に一例だけある。誰か?
大相撲の若貴である。
「清宮フィーバー」は「若貴フィーバー」である。
若乃花&貴乃花も子どもの頃から注目されていて藤島部屋に入門するときから密着されていた。彼らの生活のすべてが可視化されていた。相撲部屋入門と高校入学の違いがあるとはいえ、中学卒業時の時点で若貴と清宮は同ケースだったのだ。
入学(入門)の瞬間から追いかけていたスター候補の少年が、若貴のように想像以上の活躍をしだす。スポーツ新聞にとっての「清宮フィーバー」とは「若貴フィーバー」と同格なのだと考えられる。
あれから2年。
清宮は高校最多タイ記録の107本のホームランを打った。