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伊藤壇と考える、日本代表の伸びしろ。
沸騰するアジア・サッカーの現場から。 

text by

吉崎エイジーニョ

吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki

PROFILE

photograph byEiji Yoshizaki

posted2017/06/13 11:30

伊藤壇と考える、日本代表の伸びしろ。沸騰するアジア・サッカーの現場から。<Number Web> photograph by Eiji Yoshizaki

今までプレーした国の地図を広げて説明してくれた伊藤。サッカー選手という枠を越えた、大きな存在感のある人物だ。

欧州出身監督から「もっと意見を」と今でも言われる。

 主張すべきか、抑えるべきか?

 主張とわがままの境界線はどこか?

 こういった考察は、この先徹底的にやっていかないといけない。サッカーの世界では“主張する国”、つまり欧州や南米のほうが圧倒的な結果を残してきたからだ。あるいは、日本は自分たちが変わるべきなのか、良さを残すべきなのか、という話でもある。

 いっぽうで、耳の痛い話でもある。

 一国の代表選手に向かって「もっと意見を言え」というあまりにも基本的な話が出るとは。もっと高い次元のことを議論できないのだろうか。

 中田英寿がイタリアに移籍し、日本代表の主軸が欧州組になって以降20年近くが経つ。いまだに欧州出身の監督にそんなことを言われるのかと……。

 今回、伊藤に聞きたかったのは“別角度の海外組からの視点”だ。欧州ではない、アジアの国はどうなっているのか? アジアの国々と戦う今、その雰囲気にも触れてみたかった。これまでも多く知られてきた彼のエピソードを、「自己主張」のキーワードで切り取ってみる。

「日本の方が特殊な文化が多い国なんだな」

「日本を飛び出して4チームめ、香港でプレーしていた頃に気づいたんです。“日本のほうが特殊な文化が多い国なんだな”って」

 '98年から2年間プレーしたベガルタ仙台を契約満了になった後、地元札幌の社会人チームに籍を置いた。

 周囲からは日本の他のクラブへの移籍を試みることを勧められたが、根拠のない自信から「これからはアジアの時代だ」とシンガポール行きを選んだ。周囲の反対を押し切った以上、「10年は戻らない」という覚悟を決めた。当初は「日本だったらこうなのに……」と不満を募らせることもあったが、次第に考えが変わっていったという。

 どこの国にいっても、自己主張が猛烈にあった。

 例えば'04年にプレーしたタイリーグは数少ない、日本に少し似たパスサッカーが主流のリーグだった。それでも選手のメンタリティがかなり猛烈だった。

「試合中にPKを得た時によく感じました。多くがキッカーに名乗り出ようとするのです。明らかに『おまえは違うだろ!』という、ギリギリ試合に出られるような守備の選手が『蹴りたい』と言い出す。全員が手柄を欲してるんです。分かりやすい、ゴールという数字が欲しい。自分が生き残るために、です」

【次ページ】 アジアで経験した、圧倒的な「多様性」。

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