サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
伊藤壇と考える、日本代表の伸びしろ。
沸騰するアジア・サッカーの現場から。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byEiji Yoshizaki
posted2017/06/13 11:30
今までプレーした国の地図を広げて説明してくれた伊藤。サッカー選手という枠を越えた、大きな存在感のある人物だ。
カースト制度の影響を感じた瞬間。
アジアの国々の多様性と比較した時、日本社会は“無理に主張をせずとも済む環境”だという点は確かだ。
いっぽうで、この点は認識しなければならない――アジアには“主張すらままならない文化”も存在する、ということだ。日本のように、言おうと思えばなんでも自由にモノが言える環境は当たり前ではないのだ。
インドでは確かにいざ試合が始まると日本よりもフラットな関係でお互いが主張しあったが、ピッチ外で伊藤は強烈な経験をしたことがあった。
インド人のチームメイトから食事に誘われることがよくあった。そんな時、伊藤は気軽に「おまえも来いよ」と他の選手やスタッフに声をかけてみたが、よそよそしい態度で返されることがあった。「いや、俺はいいから」と。
「カースト制度の影響ですよ。インドをはじめとした南アジアの国には名残りがある。同じチームでも、一緒に食事すらできないんですよ。当時は分からなかった部分もあるんだけど、今考えると制度の名残りだったんだなって」
インドではまた、こんなかたちでカースト制度の影響を感じることもあった。
「オーナーなど、チームの要職にある人の身分の高さですね。高圧的な感じで選手にワーッと怒鳴りつける。僕自身は一度、後半の途中で試合に出て5分で交代させられたことがあるんです。その間、ボールを幾度かさばいて。ミスはしていなかったんです。監督に理由を聞くと『スタンドからボスが携帯で交代させろ、と言ってきたから、俺はそうするしかなかった』という。身分が高い人はかなり上から目線で来るんですよね。ボスの言うことは絶対、という」
アジアのリーグでの自己主張、というと真っ先にインドのこういった経験が思い浮かぶという。
主張することにこそ、日本の伸びしろがある!?
アジアのサッカー事情を聞くと、日本がじつは主張するに恵まれた環境だということが分かる。
違う人種、民族、言語、宗教、社会的ステイタスと折り合いをつけるために主張する場面はインドのような国よりも少ないだろう。文化や社会の根底の価値観が通じ合ったところで意見を言い合える。文化そのものを変えることは大変だが、サッカーの話に限って言うと、逆にそこが伸びしろにもなるのではないか。