プロ野球亭日乗BACK NUMBER
さよなら“高知のマニー・ラミレス”!
野球が大好きな男の奇跡の2カ月。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKyodo News
posted2017/06/02 10:50
足の怪我(肉離れ)があった、45歳(イチローより1歳年上)だった、年俸も数百万円だった……それでも野球をやりたかったということ。
今はGT-Rに夢中だけど、そのうちきっと野球に……。
米国の自宅で乗っている日産GT-Rを今回の来日に合わせて日本に船便で送り、岡山にある専門のパーツショップで改造してもらっていた。総額1500万円とも言われる改造を終えた愛車は、5月下旬には再びアメリカに向けて船で送り返されたという。
6月1日に日本を発ったマニーのいまの最大の興味は、多分、野球よりもアメリカでGT-Rを乗り回すことなのだろう。
だから5月28日に高知市営球場で放った左中間へのアーチは、マニー・ラミレスの選手としての生涯最後の本塁打なのかもしれないし、8回に放った右前安打は最後の打席、最後の安打になるのかもしれない。
ただ……。
GT-Rを乗り回すことにひと段落したら、気まぐれでまた野球をやる気になってくれるかもしれない。そうしてまたいつか日本に戻ってくるかもしれないと、少しだけ期待を寄せたくなってしまう。
だって「Manny being Manny」である。