プロ野球亭日乗BACK NUMBER
さよなら“高知のマニー・ラミレス”!
野球が大好きな男の奇跡の2カ月。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKyodo News
posted2017/06/02 10:50
足の怪我(肉離れ)があった、45歳(イチローより1歳年上)だった、年俸も数百万円だった……それでも野球をやりたかったということ。
「なぜあのマニー・ラミレスがこの田舎に?」の答え。
「実際にいくつか(レンタルの)お話はあります。ただ、本人がもう帰国することを決めているので、他のリーグでプレーする可能性はない。もちろん後期の契約のオファーはしていますが、あとは本人次第。これで辞めるか、ウチでプレーするか。そのどちらかでしょう」
マニー招聘の仕掛け人でもある同チームの北古味潤副社長はこう語っていた。
しかしなぜ、あのマニー・ラミレスが日本の片田舎の高知で野球をやったのか?
マニーはやっぱり野球が好きだということだろう。
興味のないことには見向きもしないが、自分の心が動かされることにはどんなことも厭わない。
野球をしたいというマニーの欲求と高知のオファーがタイミングよく合致したこれは、奇跡の2カ月間だった。
「野球どころと言われる高知ですが、実は今はそれほど野球熱が高いわけではなかった。そこに彼がきてくれたことで、全国の注目が集まり、もう一度、市民の皆さんもこのチームに目を向けてくれるきっかけを作ってくれた。そのことも非常に大きかったと思います」
駒田監督が語るように、前期のチームの観客動員とグッズの売り上げは過去最高を記録した。チームにとっても、地元の高知にとってもマニー来日の意味は確かにあったのである。
そして何よりあのマニー・ラミレスを日本で生で見られるという至福をもたらしてくれたこと。
それを実現してくれた球団とマニー本人に、ファンはただただ感謝の気持ちで一杯なのである。
ずっと野球の練習は続ける、という約束を。
「まずは米国に帰って家族とゆっくりしたい。できれば(日本に)帰ってきたいし、(米国に)帰っても練習はするよ」
囲み取材でこう語ったマニーに、最後に聞いたのはもう1つの来日の目的のことだった。
もうGT-Rはアメリカに向けてシッピングしたの?
こう聞くと、マニーは特上の笑顔でこう返してきた。
「イエス! もう送ったから、帰って乗るのが楽しみなんだ!」