JリーグPRESSBACK NUMBER
「やっとサッカー分かってきたな」
鄭大世に響いた憲剛からのメール。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2017/03/31 10:30
丸くなった感がある鄭大世だが、視界にゴールマウスをとらえた瞬間、ゴールへの本能をむき出しにするのは今も変わらない。
「俺が最も進化したところはプレスバック」
「俺が最も進化したところはプレスバック」
2015年7月に韓国Kリーグの水原三星から清水に加入したときは、その守備を理解していなかった。当時の田坂和昭監督にプレスバックができないことを指摘され、シーズン終盤には先発メンバーから外された。そのときは反発心を覚えたが、昨季J2のシーズン途中で、その必要性を実感する。
「何より失点しないことが重要だと思った。そのために自分に何ができるのかを考えた」
FWがボランチの位置まで戻って守備をすれば、チームとしてボールを奪う回数が増え、相手カウンターの芽を摘むことにつながると身をもって感じた。2トップを組んだ金子翔太の影響が大きかった。大前元紀(現大宮アルディージャ)がケガで戦列を離れると、代わりに入った163センチの若武者が誰よりもボールを追い回し、懸命にプレスバックに励んだ。
すると、チームの守備は安定し、上り調子で勝ち続けたのだ。大前が先発に復帰したとき、金子が果たしていた役割の大きさを知る。昇格を争っていたシーズン最終盤、不要な失点だけは避けたかった。
「俺も金子くらい走ろうと思った。自分が守備をすれば、やらない選手にも『ボランチの位置まで戻れ』と言えるしね(笑)」
小林伸二監督からは特にプレスバックを指示されているわけではないと言う。今のチームに必要だからこそ、自ら汗をかいている。
ボーフムで活躍したが、ケルンで鼻をへし折られた。
30歳を超えて、見える景色が変わってきた。フットボーラーとしてひと皮むけた。
26歳のときに自慢のパワーで道を切り拓き、あふれる自信を胸にドイツへ渡った。2部のボーフムでは約1年半でリーグ戦14ゴールを挙げたが、1部の古豪ケルンでは鳴かず飛ばず。出場機会はほとんどなく、パスもほとんど回ってこなかった。約1年在籍したが、リーグ戦ノーゴールでチームを去ることになる。完全に鼻をへし折られた。