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木村沙織は天才で、練習の虫だった。
独自に編み出してきた練習法の数々。

posted2017/03/29 11:10

 
木村沙織は天才で、練習の虫だった。独自に編み出してきた練習法の数々。<Number Web> photograph by Noriko Yonemushi

「スーパー女子高生」と呼ばれたデビュー以来、日本女子バレー界の中心にはいつも木村沙織がいた。彼女の後を継ぐのは誰になるのか。

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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Noriko Yonemushi

 感謝と安堵。

 今シーズンのV・プレミアリーグを最後に現役を引退した木村沙織が、3月22日に行われた引退記者会見で語った言葉には、その2つの思いがあふれていた。

「今の心境は、感謝の気持ちと、ほっとしているという気持ち。これから何があるかわからないですけど、世界と戦うということはもうなくなると思うので、勝敗にこだわらなくていいというのは、すごく安心しています」

 東レアローズの本拠地である滋賀県の体育館に駆けつけた大勢の記者陣を前に、緊張しながらも、穏やかな笑顔で話した。

 全日本では、高校2年、17歳で初招集されてから、昨夏のリオデジャネイロ五輪まで13年間、世界の第一線で戦い続けた。日本の女子バレーボール選手として初めて4大会連続で五輪に出場し、2012年ロンドン五輪では、エースとして日本の28年ぶりのメダル獲得に貢献した。

「自分には厳しくできるけど、人にはなかなか……」

 185cmの長身で、攻撃も守備もセンスにあふれる万能選手としてバレー界一のスターとなったが、注目されるがゆえの苦悩もあった。

 会見でファンへのメッセージを求められると、「なかなか、世間の期待にプレーがついていかなかった時もあったと思うんですけど……」と涙で声をつまらせながら、「ずっと変わらずに応援してくれて、本当にありがとうございました」と感謝の思いを伝えた。

 特に2013年に代表の主将を任されてからは、チームが大きく若返る中で、苦手としていたリーダーの役割に悪戦苦闘した。

「自分としては、そういう経験をさせてもらえたのはすごくよかったけど、やっぱり結果を残すためには、私が一番苦手な、厳しさという部分が足りてなかったかなと思う。自分に対してはいくらでも厳しくできるけど、人に対して厳しくというのはなかなか難しくて、できなかったところだったので、そのへんはキャプテンとして一皮むけきれなかったなとは思います」と主将としての自身を冷静に顧みた。

【次ページ】 天才なのは間違いない。しかし同時に練習の虫だった。

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