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棚橋弘至が古い組織を変えた方法。
一番にこだわらなかった一番の男。 

text by

濱口陽輔

濱口陽輔Yosuke Hamaguchi

PROFILE

photograph byWataru Sato

posted2017/03/21 08:00

棚橋弘至が古い組織を変えた方法。一番にこだわらなかった一番の男。<Number Web> photograph by Wataru Sato

「100年に1人の逸材」と自ら公言してきた棚橋弘至。説得力のある筋肉と、コミカルさを兼ね備えた存在感は、確かに無二のものである。

6年間、東京ドームのメインは棚橋の指定席だった。

 2013年、とうとう新日本プロレスは長い低迷期を脱出した。仙台、大阪、広島でチケット売り切れが続出し当日券が出せないことも出てきた。2014年の1.4東京ドームでは、35000人を集客して復活を印象付けた。2016年まで、東京ドームのメインは6年連続で棚橋が務めた。復活の最大の功労者は、間違いなく棚橋弘至である。

 ワールドプロレスの実況で「新日本プロレスを苦しい時代を棚橋が支えてくれた」といまでもよく聞く。棚橋は「新日本プロレスの礎」になっていいと考えていたから、苦しくはなかったという。

 プロレスというパイを減らさないように、少しでも上向きにして、次に続くスターに繋げようと考えていたのだ。プロレスラーは誰でも、常に自分が一番でありたいと思っている。新日本プロレスの歴史を見ていても、アントニオ猪木しかり長州力しかり橋本真也しかり。皆、自分が一番だというイメージを残したまま引退、退団していった。

 自分の築いたポジションを引き継いできっちり世代交代をしないから、次のスターは生まれにくいし、若いスターが生まれなければ若いファンも育たない。

主要タイトル戦線に、必ず彼は帰って来る。

 棚橋の自分中心ではない考えから、オカダ・カズチカや内藤哲也というスターが出てきた。内藤は一度その道から外れたが、オカダは棚橋との長い抗争の末、現在の新日本プロレスの象徴的存在として君臨している。

 棚橋の2017年は「棚橋になれなかった男」内藤哲也との試合からスタートした。スター街道から外れた男が、独自の世界を創り上げて棚橋超えを成し遂げた試合だった。戦いのテーマがあるからこそ試合は緊張感と意味を持つ。棚橋と内藤にはその“テーマ”があるからファンも感情移入できる。

 戦いに意味を持つことは、棚橋がずっと大事にしてきたことだ。選手の側が戦いのテーマを考え抜かない限り、観客に熱が伝わる試合などできないと考えているからである。

 世代交代がスムーズにいっている反面、棚橋が2016年から主要タイトル戦線から外れている現状に寂しさを感じてしまう。無上のプロレス愛を叫ぶ姿を久しく見ていない。

 次はどんなテーマを持って、棚橋はオカダや内藤の前に立ちはだかるのか。近い将来、その時が来るのをファンは心待ちにしているはずだ。その時は一緒に「愛してまーす!」と叫びたいと思う。また新しい風景がそこにはあると確信している。

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