ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
真壁刀義、新日本を救った男の20年。
スイーツの土台は10年間の「地獄」。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byTadashi Shirasawa
posted2017/03/03 17:00
リングに上がれば金髪にチェーンで雄々しい姿、スイーツを前にすると子供のような愛くるしさ。真壁の魅力はそのギャップにある。
ボコボコにされた真壁を救ってくれた、山本小鉄。
いま、このようなことが行われていたら、社会的にも大問題になっているだろう。しかし、当時の新日本プロレスでは、これが現実だったのだ。そんな日々の中で、真壁は故・山本小鉄さんにかけてもらった言葉に救われたという。
「練習生のとき、俺が誰よりも大声出して、誰よりも正しいフォームでスクワットをやってても、『テメエ何やってんだこの野郎!』って、ボコボコに殴られ、蹴られるわけよ。そしてある日、殴られたあと『着替えてちゃんこ番につけ、この野郎!』って、道場から放り出されたんだ」
殴られ蹴られ、練習からも外された真壁は、仕方なく着替えて食事の用意をするためにシャワー室に向かう。そこで「おい、真壁。どうした?」と声をかけてきたのが、'70年代から'80年代にかけて道場を仕切っていた、元・鬼コーチの山本小鉄だった。
「バカ野郎! 誰よりも強くなれ」と言われた。
「当時、先輩連中は、新弟子が挨拶しても10人中9人はシカトだったし、新弟子が名前で呼ばれるようなことはなかった。ところが山本さんは、『真壁、どうした?』って声をかけてくれて、それだけでうれしかったんだけど。『いやあ、ちょっと……』って言葉を濁していたら、『ちょっとじゃねえよ、バカ野郎! 言ってみろ』って言われてね。それで、実は誰よりも正しいフォームで、誰よりもでかい声でちゃんとやってるのに、毎回『やってない』って殴られて、『僕は何が正しいかわからないんです』ってことを言ったわけ。
そしたら山本さんは『バカ野郎! 誰よりも強くなれ。誰よりも強くなったら、お前に対して誰も文句を言えなくなる』って言ってくれて。俺はそれを言われた瞬間、気持ちがリセットされたよね。最初の大きな転機でもあった。その日から俺は、誰よりも強くなるために自分から地獄に飛び込んでいくようになったから。山本さんには凄く感謝してるよ」
こうしてなんとかデビューを迎えた真壁だが、過酷な状況は変わらなかった。長州力の付き人を務めながら、黙々と前座で戦う日々。本来、若手にとって“スターへの片道切符”であるはずの海外遠征も、真壁の場合は、華やかなアメリカやルチャ・リブレの本場メキシコではなく、治安が悪いことで知られるプエルトリコに島流し同然で送られた。