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なぜ平良拳太郎がプロテクト外に?
巨人の人選過程を妄想してみた。
posted2017/01/19 11:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
2017・新年。
お正月いちばんのニュースは、巨人にFA移籍が決まったDeNA・山口俊投手の“人的補償”に、巨人・平良拳太郎が指名されたという報道だった。
最初の印象は、「巨人がよく平良拳太郎をプロテクトから外したな……」という一種の疑問だった。
私の中で平良拳太郎は、與那原大剛(今季2年目・普天間高)、中川皓太(2年目・東海大)と並んで、巨人若手投手陣の中の数少ない“成長株”の1人だったからだ。
沖縄・北山高校から2013年のドラフト5位で巨人に入団。イースタン・リーグでは1年目の実戦から非凡な素質を見せていた。
サイドハンドからの速球、スライダー、カットボールがものすごく動く。ホームベース上で真横に吹っ飛んだり、タテに割れたりするスライダーは、捕手がやっと捕球するほどのボール球なのに、プロで3年、4年とメシを食っている打者たちまでがそのボールを追いかけて空振りを喫していたし、左打者の外にシュルシュルっとすべるように逃げていく速球は立派な“シュート”だった。そのシュートが右打者の胸元、ヒザ元にコントロールされたら……。
181センチの身長を、もっともっと長身に見せられる長い手足がマウンド上で柔らかくしなるたびに、こんなピッチャーがどうして5位だったのか、と何度も不思議に思ったものだ。
一軍初登板で、ボールが生きていた。
昨年4月、その平良拳太郎がリーグ戦開幕まもなくの東京ドームで、阪神戦に先発で出てきた時は驚いた。もちろん、一軍初登板だ。
ジャイアンツ球場のイースタンで投げていた速球とスライダー、そしてあえて“シュート”と呼ぶそのボールが一段と冴えていた。
序盤、4連続三振を奪ったのは、そのスライダーとシュート。ボールが動いてから、打者がアッと思って、あわてて追いかけたようなスイング。
ボールが生きていた。
斎藤雅樹(巨人・二軍監督)が出てきた頃のような“生命力”豊かなボールの連続。
田口麗斗や高木勇人のデビューより、ずっと強烈な衝撃を感じたものだった。