濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
PRIDEとRIZINの生き証人、川尻達也。
グレイシー戦敗北の痛みと重み。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph bySusumu Nagao
posted2017/01/10 11:00
勝負に出た踏みつけが結果的には裏目となった。だがそのアグレッシブな闘争心こそ、ファンが川尻に魅了される理由である。
この10年間で格闘技ファンが最も思いを託した存在。
修斗からPRIDEへと出世街道を突き進み、世間が格闘技に興味を失ったように思える時代にもDREAMの主軸として闘い続けた川尻。
敵地アメリカでのギルバート・メレンデス戦をはじめ、この10年、日本の格闘技ファンが最も思いを託したファイターはおそらく彼だ。大げさでなく、我々は川尻とともに笑い、ともに泣いた。彼の喜びは我々の喜びで、彼の痛みは我々の痛みだった。
大晦日のセミファイナル、クロンとの一戦は緊張感に満ちていた。組みついてくるクロンを、川尻が至近距離のアッパーで迎撃する。なかなか寝技に持ち込めないクロンは、引き込んでガードポジションに。現代MMAでは“下”が圧倒的に不利とされているが、クロンは小刻みにパンチを当てつつ、腕十字、チョークと攻め込んでいった。百戦錬磨の川尻さえもガードポジションの泥沼に引きずり込む。これもグレイシーの血のなせる業か。
「俺は持ってないな、クソだな」と声を詰まらせたが。
決着は2ラウンドについた。大きく飛び上がって顔面を踏みつけようとした川尻、その脚を掴んでクロンがバックを奪い、チョークを決めたのだ。歴史は繰り返す、というべきか。かつて父ヒクソンが中井祐樹や船木誠勝を下した技で、クロンは所英男に続いて川尻までもタップさせたのである。
新世代の勝利。それは必然だ。「正しい」とさえ言える。しかし川尻の敗北は、あまりにもせつなかった。
「俺は持ってないな、クソだなと。ファイターを続けたいけど、みんなが必要としてくれるのか……」
川尻はインタビュースペースで声を詰まらせながら語り、取材陣に深々と一礼した。これで最後なのか。それでいいのか。
もちろん、いいわけはないのだった。年が明けると、川尻はさっそくランニングから練習を再開したという。幸いだったのは、大会当夜に「大忘年会」と題したファンイベントが開催されたことだ。ファイターにとって、自分が必要とされていることを実感できる最高の場所だ。