ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
引退ゼリフは「まだ誰にも負けない」。
長谷川穂積が辿りついた最高の結末。
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byAFLO
posted2016/12/13 07:00
9月の試合で、息子に抱え上げられた長谷川穂積は感傷的な表情をしていた。彼の「気持ち」は、この時もう傾いていたのかもしれない。
最近は、「ボロボロになる」寸前に見えた。
「ボロボロになってやめるのもひとつの美学だと思いますし、多少の余力を残してやめるのもひとつのやり方。自分は一番楽しいときに引退したいというのを常に頭に置いてすごしてきたので、このタイミングが一番かなと思って決断しました」
ここ数年の長谷川は「ボロボロになる」寸前に見えた。2011年4月、ジョニー・ゴンサレス(メキシコ)にTKO負けしてWBC世界フェザー級王座を失って以降、長谷川らしいスピード感あふれる「打たせないで打つ」というボクシングは影を潜めた。'14年4月にはIBF世界スーパーバンタム級王者のキコ・マルチネス(スペイン)にTKO負け。それでも長谷川はロードワークを欠かさず、ジムにも通い続けた。
再起してからの2試合は、多くのパンチを顔面にもらい、ダウンを喫して周囲をヒヤヒヤさせた。長谷川がパンチをよけると、会場から安堵の声がもれたものだ。「多少の余力」など、どこにも残っていないように見えた。
10年前の自分に勝てなくても、方法はあった。
多くのファンは「もう長谷川は以前の長谷川ではない。世界チャンピオンに返り咲く力は残念ながらない」と感じていたはずだ。少なくとも私はそう考えた。心を震わせたあのウィラポン戦は決して再現されないのだ。
そしてここが重要なのだが、長谷川本人も、自分がかつての自分ではないことを理解していた。9月の試合を終えてから、ボクシング・ビート誌のインタビューで「10年前の自分と戦ったら」という質問を受け「勝てないです」とあっさり答えている。
普通のボクサーであれば、このままグローブを吊るすか、再度キャンバスに散るか、いずれにしてもリングを去るところだろう。しかし長谷川は「心と体が一致すれば必ず勝てる」と考えた。ようは年齢に合った、いまの肉体に応じたボクシングを遂行するということである。言葉にすると簡単だが、これを実行できたボクサーを現実に見たことはない。それを長谷川は9月のリングで見事にやってのけたのだ。