ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
凱旋試合での世界基準と高い志。
松山英樹、日本ゴルフ界への愛情。
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph byYoichi Katsuragawa
posted2016/11/16 11:00
松山は今季国内ツアーで2戦2勝。最少スコア記録となる23アンダーでの優勝を果たした。
松山の中で膨らむ、日本ゴルフに貢献したい思い。
破竹の勢いで世界のトップグループに割り込んだ松山本人にも、そういった自覚は、周囲の期待に沿うように時間をかけて芽生えてきたように思う。メンバー登録を拒んでいる母国ツアーとは一定の距離を置いているようで、日本ゴルフに貢献したい思いが膨らみ続けている。
アジア勢初の世界選手権優勝を遂げた上海で、こんな光景があった。
開幕前日のプロアマ戦。試合に出場するプロゴルファーと、大会のスポンサー関係者が一緒にプレーする同大会の懇親ラウンドには、例年ある仕掛けが用意されている。
大会は本戦の前の週に、ジュニアゴルファーの試合を実施。上位に入った学生選手たちには、このプロアマ戦の1ホールでプロと“直接対決”できる特典が与えられる。
17番ホールのパー3。松山とプレーしたのはそのジュニア大会で優勝した北京出身の16歳の選手だった。ティグラウンド周りにいた中国人ジュニアたちは、松山がティショットで放った5番アイアンの弾道に目をむいていた。
子供たちの触れ合い、プロアマの在り方を考えて。
「うわあ! 高い!」
世界のトップ選手とわずか1ホール、10分ほどの時間を緊張の面持ちで、目をキラキラさせて過ごす彼らを見て、「初々しいね……」と松山はつぶやくと「日本でもできたらいいのに」と矢継ぎ早に続けた。
「ああいうこと、どんどんやってみると良いと思うんですよね。将来プロを目指している子たちでしょう。プロと一緒に回って『将来、この人に勝ちたい』『もっと頑張ろう』と思ったり。もちろん嬉しいと思うだろうし、考えることも変わりますよ」
「日本でも特に地方の子、あんまり(プロの)試合を観に行けない子たちには、ああいう経験は大きいと思う。僕も小さい頃、(宮崎での)ダンロップフェニックスは観に行ったけれど、他には行けなかった。(明徳義塾)高校に行ってから、(高知での)カシオワールドオープン、PRGRレディスをやっと観に行ったくらいだった。日本ツアーのプロアマの在り方って、もっといろいろ考えられていいんじゃないですかね」