相撲春秋BACK NUMBER
“男 境川”親方がみた男の夢。
豪栄道全勝優勝と部屋設立の物語。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byKyodo News
posted2016/10/11 07:00
大相撲秋場所の全勝による初優勝を、大杯を抱えて祝う豪栄道。その側には境川親方が座る。
兄のように慕った吉の谷が、部屋の地鎮祭直後に急逝。
平成4年暮れに引退した元小結の両国は、当時、中立親方として出羽海部屋付きの親方となった。平成10年5月に、大鳴戸親方を名乗っていた吉の谷とともに分家独立をする。13歳年上の吉の谷のことを「兄やん」と呼び、まるで「義兄弟」のように深い絆で結ばれた仲だった。その吉の谷は、境川部屋(当時中立部屋)の地鎮祭を執り行った直後に急逝。ふたりの宿願だった部屋の完成を、「兄」は見届けることができなかった。
日大時代から後輩として目を掛けられ、現役時代はもとより、角界を離れてもなお「弟」のように親方を慕う、舞の海秀平氏が述懐する。
「境川さんは、吉の谷さんに本当に可愛がられていましてね……。師匠――当時の出羽海親方に、ふたりで独立を頼みに行ったんですよ。もし了承されなかったら相撲界を去る覚悟でもいたと聞きました。吉の谷さんは、自分の人脈で応援してくれる人を集め、一から新しい部屋のために尽力していたんです。50歳という若さで亡くなってしまい、あのときの境川親方は、本当に憔悴しきっていたなぁ」
力士達が毎日唱和する「境川部屋綱領」。
吉の谷の名が彫られた石碑には、境川親方の想いも、深く刻まれていたのだった。
そして部屋の稽古場には、「境川部屋綱領」が掲げられ、日々の稽古後に力士たちが唱和するのを日課としている。
一、先人、故人を尊び、後輩を導く
一、強い心、優しさ、勇気を持つ
一、今この時の積み重ねが将来である
一、全ては己に返る
一、自分で選んだ道に悔いを残さない
一、目で見、耳で聞いたら失敗を恐れず行動あるのみ
一、己だけが辛いわけではない、道に迷ったら、故郷・家族を思い出す
一、念ずれば、夢は花ひらく
一、清い心、武士道こそ相撲道である
この綱領について問うと、かつて親方はぶっきらぼうを装うように、こう説明してくれた。
「これは、酒飲みながら兄やんと話していたのを文章にしただけなんだよ。兄やんは五島列島出身で、兄弟の多い長男坊でね。ひとつ四股踏みゃぁ父ちゃんのため、もうひとつ踏めば母ちゃんのため――そう辛抱してたって言うんだ。何も、キツイの辛いのは力士だけじゃない。田舎で頑張っている父ちゃん母ちゃんだって辛いんだ、って話をしていてね。俺は、努力、根性って言葉は嫌いなの。力士が辛いって、仕事でやってるんだから、それは当たり前なんだ」
境川部屋の新年は、まず元日の朝、両国回向院に眠る吉の谷の墓参りから始まると聞く。