リオ五輪PRESSBACK NUMBER
リオ五輪に“滑り込んだ”古賀淳也。
「最速スイマー」の称号で東京目指す。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2016/09/10 10:30
リオ五輪、男子4×100mフリースタイルリレー決勝での4人。左から、塩浦慎理、中村克、小長谷研二、古賀淳也。
33歳で迎える東京五輪は「精神的には伸び盛り」。
こうして迎えたリオ五輪。古賀は4×100mフリーリレーのアンカーとして泳ぎ、日本の48年ぶりとなる8位入賞に貢献した。第4泳者として出した48秒55のタイムは、引き継ぎでの自己ベストだった。
「五輪の決勝なので緊張するのかなと思ったが、いつもの国際大会と同じように泳げた」
リオでのレースを終えた古賀は笑みを浮かべ、充実感にあふれた鍛錬の日々を述懐した。
「代表選考会後の合宿は、自由形をどう泳いでいいか分からない状態からのスタートだった。でも、中村君や他の代表メンバーに引っ張られながら、そしてコーチには背中を押されながら、1週間ごとに速くなっていく自分を実感しながら練習できた」
専門外の自由形で初めての五輪舞台に立ったこと、背泳ぎで培ったバサロキックが生かせたことで、新鮮な気持ちを味わうことができたという。古賀は、リオ五輪のミックスゾーンですでに次を見つめていた。
「ここまで来たので、次は20年東京五輪を目指す。4年後の33歳という年齢は肉体的な年齢に関しては難しいところがあるけれど、精神的には伸び盛りだと思っている」
北島康介の活躍を見て金メダルを意識した。
自分の夢を初めて見つけた。そう思えたのは早大3年の夏だった。目にしたのは、北京五輪の競泳男子平泳ぎで2冠を達成し、雄叫びを上げる北島康介の勇姿だった。
ナショナル合宿で一緒にトレーニングしたことのある先輩が日本中を熱狂の渦に巻き込む姿を目の当たりにし、思った。
「うらやましい。僕も金メダルが欲しい」
それまでは、指導者の教えを受けながら「何となくやっていた」という意識だったが、北島の活躍を見た後は、自発的に練習を行なうようになった。
翌'09年にあった世界選手権。初めて自分で目標設定をして世界に挑んで、100m背泳ぎで金メダルを獲得した。当時、日本の男子選手が世界選手権で金メダルに輝いたのは北島以来の快挙だった。
それから7年、すべてがうまくいったわけではないが、首の皮一枚でつかみ取ったリオ五輪の檜舞台を経験し、新たな夢を持つようになった。