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レーザー・レーサーの暴論。 

text by

海老沢泰久

海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa

PROFILE

posted2008/06/20 00:00

 ミズノ、デサント、アシックスの水泳担当の社員たちは、いまどんな気持ちでいるのだろう。

 彼らがたいへんだと思いはじめたのは、たぶん4月の下旬だった。

 それ以前の2月にイギリスのスピード社がレーザー・レーサーという水着を発表し、それが水泳界の大きな話題になっていることは、水泳担当者なら誰でも知っていた。それ以来、世界では37の世界新記録が出ていたが、そのうちの35がレーザー・レーサー着用の選手によって出されたのである。

 しかし、日本の3社も改良した水着を発表していて、選手たちからも好評を得ていた。それ以上に彼らを力づけているものがあった。彼らは日本水泳連盟と、3社が年間にそれぞれ約500万円の協賛金を出すかわりに、日本人選手は3社以外の水着を着ないという12年契約(06年から17年まで)を結んでいたのである。

 また、平泳ぎの北島康介などは、それとはべつにミズノと特別に個人契約を結んでいるし、自由形とバタフライの松田丈志はミズノスイムチームのメンバーだ。3社の社員選手もいる。レーザー・レーサーがどんなに話題になろうが、何の問題もないはずだった。

 ところが、4月下旬の日本代表の合宿のときに、望んでいないことが起こった。一部の選手がレーザー・レーサーを試着して泳ぐと、軒並み好成績が出たのである。

 「ハンディが大きすぎる」

 コーチがそういって悲鳴を上げるほどのタイムだった。

 5月上旬、それを受けて、水泳連盟は5月30日までという期限を切って、3社に水着の抜本改善を要求した。むろん無理な要求で、3社が5月30日に改善したとして発表した水着は見向きもされなかった。

 それでも3社の社員たちは、まだ希望を抱いていた。

 これはぼくの想像だが、彼らは500万円ずつの協賛金を出したほかにも、選手たちに対してさまざまなサポートをしてきたにちがいないのである。国内外での競技会や合宿にもついて行ったろうし、あるときには車の運転をしてやったり、食事の面倒も見てやっただろう。こっちのサポートのほうが大きかったかもしれない。水泳連盟も選手たちもその恩義を忘れていないはずだった。

 しかし、その希望はあえなく崩れた。6月初めにジャパンオープンが開催されると、多くの選手が契約に反してレーザー・レーサーを着けて出場してきたのである。

 そしてその結果は3社にとってまったく不都合なものだった。レーザー・レーサーによって16もの日本新記録が生まれ、そのうち200メートル平泳ぎで北島が出した記録は世界新記録だった。3社の旗色は一挙に悪くなった。

 すると、日ごろは道徳の荒廃を嘆き、政治家の公約違反を批判してやまない新聞やテレビまでが、水着の選択は選手の判断にまかせるべきだと言いはじめた。違約金を払って正式に契約を破棄するなら別だが、3社との契約を守っていては金メダルを取れない、だから契約にはとらわれるなといっているに等しかった。何事も契約で成り立つ民主主義の社会においては、暴論といっていい。

 そして水泳連盟はジャパンオープンのあとで理事会を開いて、そのとおりの決定をしたのである。しかも、水泳連盟と3社がどんな話し合いをしたのか知らないが、契約を反故にした水泳連盟に違約金は発生しないらしい。つまり、水泳連盟は金だけもらって、それに見合うことは何もしないのである。踏んだり蹴ったりとはこのことだろう。

 おそらく、3社はレーザー・レーサーに完敗して何もいえなかったのだろうが、社員たちはいいたいだろう。

 「レーザー・レーサーが出るまでは、おれたちのサポートをみんなよろこんで受けてきたではないか。あのお返しは何でしてくれるのか」

 と。

 ぼくはスポーツを金まみれにするという点ではスポーツ用品メーカーに批判的なつもりでいるが、こんどばかりはいささか同情している。

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