リオ五輪PRESSBACK NUMBER
リオでベスト8の渡嘉敷来夢が残した夢。
「2人揃えば東京五輪でメダルが取れる」
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byJMPA
posted2016/09/05 17:00
リオ五輪、準々決勝。アメリカと激闘を繰り広げた直後の渡嘉敷と吉田。2人が揃って世界で戦う光景は、再び見られるのか?
吉田に引っ張られて成長した渡嘉敷。
当時22歳だった渡嘉敷には、JX入りした当初から、吉田に引っ張られて成長していったという思いが強くあった。
「実業団に入ったころは、吉田さんのパスが取れなくて大変だった。パスが強くて速いのはもちろん、ノールックパスのタイミングも難しく、手に当たって弾いてしまうことが多かった。最初は大変だったけど、次第に対応できるようになっていた」
ところが、上位を目指して世界選手権に乗り込もうと思っていた矢先の14年2月。吉田がリーグ戦で左ひざ前十字じん帯を断裂する大けがを負った。こうして吉田は'14年秋の世界選手権を棒に振り、日本は世界で1勝もできずに敗退した。
吉田が初出場した'10年世界選手権の時点では、渡嘉敷が代表メンバーに入っていなかったし、ロンドン五輪は出場権をつかむことができなかった。そして、'14年は吉田が不在だった。
だからこそ渡嘉敷は、「リオ五輪では初めて吉田さんと一緒に世界で戦えるんです」と目をキラキラ輝かせていた。
「ここで終わるとは思っていない」と「リオが集大成」。
こうして2人が初めてそろい踏みして戦ったリオ五輪。日本は一次リーグで並み居る強豪を次々と撃破する活躍で、「アカツキファイブここにあり」を大いにアピールした。リオ五輪での日本は、12年ぶりの五輪出場でありながら、ベスト8まで駒を進めて世界を驚かせたのだ。
だが、渡嘉敷は「自分がここで終わるとは思っていない。もっとレベルアップして、もっとみんなにマークされるように頑張りたい」とさらに高い目標を掲げた。そして、夢を実現させるために必要なことはチームメートの力であることを感じていた。
リオ五輪前、チーム最年長28歳の吉田は「リオが集大成だと思ってやってきた」と話していた。
米国に敗れてリオでの戦いを終えた後も、4年後に向けては揺れる思いを吐露し、「東京五輪のことは考えられない」と素直に言っていた。