猛牛のささやきBACK NUMBER
東海大相模の両エースがプロで競う!
オリックス吉田凌のライバル物語。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byHideki Sugiyama
posted2016/09/02 07:00
昨夏の甲子園、準決勝での吉田。プロ入り後、まだ一軍登録に届いてこそいないが、本人は「まずは身体作りが優先」と日々練習に励む。
腰椎分離症を発症し、小笠原に「抜かれた」。
しかし2年の秋、腰椎分離症を発症してしまう。そのため、本来はウエイトトレーニングや走り込みで徹底的に体を鍛え上げる冬場に、強化を行うことができなかった。それが大きく影響を及ぼすことになる。
「その間に小笠原がバンバン鍛えてたので、『うわやべー』と思っていました(苦笑)」
吉田は体のバランスを乱し、考えすぎたことでフォームも崩れてしまった。
3年春に行った紅白戦では、小笠原と投げ合い0対1で惜敗。吉田が被安打1、小笠原がノーヒットという僅差の戦いだったが、のちに小笠原は、「あのとき、やっと吉田に並んだな、一歩出たなと思った」と言ったという。
「自分も、『抜かれた』と思った。逃げ切るつもりだったのに」と悔しそうに吉田は振り返る。
甲子園準決勝でオコエ瑠偉をシャットアウト。
3年夏の甲子園の大会中、吉田の分離症が再発した。準決勝の関東一戦の先発を告げられた吉田は、それが甲子園での最後の登板になると覚悟した。
「自分が準決勝に投げるイコール決勝は小笠原ということだし、腰の状態のこともあったので、自分はここが最後だなとわかった。だから自分は、そこが決勝だという気持ちで投げました。人生で一番頑張りましたね」
吉田は関東一のキーマン、オコエ瑠偉を出塁させないことに注力し、7回1失点の好投で小笠原にバトンタッチした。決勝は小笠原が完投し、東海大相模は日本一に輝いた。
大会後、吉田はU-18日本代表には加わらず、腰の治療とトレーニングに専念。コンディションを整えプロ入りに備えた。
そしてオリックスでの1年目、吉田は高校1、2年のよかった頃の自身の姿を見直し、フォームの修正を行った。当時よりもトレーニングで体が大きくなっているところに、かつてのいい部分を取り入れることで、自分史上最高をこれからどんどん更新していきたいと考えたのだ。実際、以前のようにリリースポイントを前にしたことで、スライダーのキレや直球のスピードが増してきた。最も自信を持っているスライダーに関しては、「通用するな」と手応えを感じている。