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“桃田の代役”を越えて戦った34歳。
バド佐々木翔、リオで競技人生に幕。 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byGetty Images

posted2016/08/15 13:10

“桃田の代役”を越えて戦った34歳。バド佐々木翔、リオで競技人生に幕。<Number Web> photograph by Getty Images

最後となった試合の前に、「コートで成仏したい」と全身全霊をかけた思いを口にしていた佐々木。その強い思いは後進の選手たちに届いたはず。

「桃田の代役は自分しかいないと思った」

 しかし佐々木は、難しい立場を正面から受け容れ、五輪に向かおうとした。正式にリオ五輪出場が決まった5月の会見。33歳(当時)のベテランは、言葉を選びながら決意を語った。

「繰り上げ出場のことは報道で見て知ったので、最終決定が出るまでの3週間くらいは関係者から連絡がなく、流れが分からなかった」

 その間、さまざまなことが頭の中で渦巻いた。そして考え抜いた末、腹をくくった。

「桃田(の五輪出場)が難しいことになり、桃田とずっとやってきた自分の立場を考えて、(代役は)自分しかいないと思った」

「コートに骨を埋める作業をやっていく」覚悟で。

 もともとリオ五輪に出場したいという意欲は強かった。

「こういうことは目に見えない力が働いて決まっていく。神様が裁くと思って、清く正しく精一杯日々を過ごすしかないと思って過ごした」

 正式に出場が決まると、「桃田の気持ち、桃田の家族の気持ち、いろいろなものを背負った上で結果を出さないといけない」と、五輪に向けての猛練習を開始。引退を封印して厳しいトレーニングをこなした。リオでは「年齢のせいではなく、3カ月で身体を作っていくことが大変だった」というが、敗れたオーセフ戦でも得意のスマッシュを繰り出して意地を見せた。

 今後は「会社と日本バドミントン協会の方と話をして決めたい。ただ、このまま終わっていく方向になると思う」と引退する意向を示した。そして、「最後、コートに骨を埋める作業を(舛田)圭太コーチと一緒にやってもらえたのは良かったかなと思う」と、しんみりと言った。

【次ページ】 「自分の気持ちには後悔はないです」

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