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F1界最高のジャーナリストが去った。
最高に危険で、最高に愛された男。

posted2016/08/14 07:00

 
F1界最高のジャーナリストが去った。最高に危険で、最高に愛された男。<Number Web> photograph by Mercedes AMG

優れたジャーナリストであり、F1という競技の最高の理解者でもあった“バイロン・ガン(拳銃)”ことバイロン・ヤング。

text by

尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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Mercedes AMG

 夏休み前、最後の一戦となったドイツGPが行われたホッケンハイムリンクで、ささやかなセレモニーが数チームのモーターホームで催された。そのセレモニーは、ドイツGPを最後にF1の取材活動から身を引く、あるジャーナリストのお別れ会だった。

 彼の名前はバイロン・ヤング。

 イギリスのタブロイド紙のベテラン記者である。

 業界内の激しい競争と戦わなければならないだけでなく、F1の取材は年間100日以上も出張しなければならないため、家庭との両立が難しく、これまで何人もの仲間たちがパドックから姿を消していった。

 昨年まで活躍していたジャーナリストで、今年姿を見せなくなった者は、ヤング以外にも数人いる。そのこと自体は、決して珍しいことではない。

 しかし、グランプリの週末にチームがジャーナリストのためにフェアウェルパーティを開催するのは、じつに稀なことである。しかも、金曜日にレッドブルがエナジーステーションで開いたフルコースディナーの主催者は、レッドブルのチーム代表であるクリスチャン・ホーナーであり、会にはバーニー・エクレストンも飛び入りで参加したほどだった。

みんなが愛し、そして恐れたF1ジャーナリスト。

 土曜日にはメルセデスAMGとマクラーレンが、予選後にヤングの功績を讃えるイベントを開催。

 ブランドセンターと呼ばれるマクラーレンのモーターホームの大型スクリーンには、ヤングの29年間のF1の活動を収めた写真を映し出す粋な演出を行っていた。

 なぜ、F1関係者がこれほどまでにヤングの引退を惜しんだのか。

 それは、ヤングほどF1関係者、特にドライバーを口撃したジャーナリストはいなかったからである。

【次ページ】 2001年、ヤングがシューマッハにした強烈な質問とは?

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