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インハイは「就活ラストチャンス」。
4人の3年生が見せたJ内定への執念。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2016/08/17 08:00

インハイは「就活ラストチャンス」。4人の3年生が見せたJ内定への執念。<Number Web> photograph by Takahito Ando

高は市船のコンダクターとして中盤に君臨。9度目のインハイ制覇を成し遂げる原動力になった。

市船のMF高は当初「将来の目玉選手」だったが……。

 インターハイ優勝を果たした高は、川崎フロンターレU-15でも主軸でプレーし、市立船橋でも1年から主軸を張るなど、エリート街道を歩んで来た存在だった。当然、周りも『将来の目玉選手』と注目したが、高2になるとその周りの声はトーンダウンしていく。

 それと反比例するかのように、チームメイトで同級生のDF杉岡大暉と原輝綺の注目度が上がり、今年に入ると『プロ入り濃厚』と目される存在になっていった。

 2人にプロのスカウト陣が熱視線を送る一方で、彼にはその視線がなかなか届かなかった。そして、インターハイ前に2人には複数のJクラブからの熱烈オファーが届いたが、高には来なかった。それでも必ず誰かが見てくれることを信じて、彼は練習に打ち込んだ。何故ならば、彼には絶対にプロになりたい『理由』があった。

「プロになることは小さい頃からの夢なんです。お父さんがプロサッカー選手で、自分の尊敬している人がすぐそばにいて、ずっとお父さんを超えたいと思ってサッカーをやってきました」

元中国代表の父親に憧れ、超えたいと思う日々。

 彼の父親は元中国代表DFの高升。現役時代は遼寧足球倶楽部でプレーし、1991年に来日して、富士通サッカー部に加わり4年間プレー。1995年に現役を引退すると、指導者として現役時代プレーをした2つのクラブに携わり、2013年から遼寧足球倶楽部の監督を務めている。彼は父親の現役時代のプレーを見たことが無い。だが、記憶にあるのは、小さい頃に公園でボールを蹴り合ったことだ。

「プレーは見たことがなくて、人から話を聞く程度です。でも、公園でお父さんが見せる足技とか、キックが本当に凄くて、『相当凄い選手だったんだな』と感じていました」

 憧れの父のようになるだけでなく、超えたい。この想いが彼を突き動かしていた。だからこそ、高3になって厳しい現実が見えて来ても、彼の心は全く折れなかった。

【次ページ】 朝岡監督が適性を見抜いてボランチにコンバート。

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