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渡部香生子、涙のロンドンから4年。
伊藤華英が「繊細」と感じる理由。
text by
伊藤華英Hanae Ito
photograph byAFLO
posted2016/08/08 07:00
昨年の世界選手権で果たした18歳265日での優勝は、日本の最年少記録。渡部香生子は間違いなく、スペシャルな選手の1人なのだ。
「頑張ったね」としか言えなかった私。
その翌年、2013年にスペインのバルセロナで行われた世界選手権でも、香生子が不調から抜け出すことは出来なかった。200m個人メドレーでベスト記録を出したが、100m平泳ぎでは予選敗退。200m個人メドレーでは準決勝までだった。
結果を出そうと努力しているのに、なかなかそれが報われない彼女の気持ちを考えると、その時も「頑張ったね」としか言えなかった。その言葉の後に、彼女はいつも涙をぽろぽろ流していた。
しかし、努力は徐々に実り始める。シドニーオリンピックで銀メダルを獲得した中村真衣さんや、北京オリンピックで種田恵さんを担当した竹村吉昭コーチに指導を受けるようになった頃からだ。
2015年の日本選手権では50m、100m、200m平泳ぎ、200m個人メドレーで優勝という離れ業をやってのけた。4冠、まさに快挙だった。
内定をもらうことで、苦しむこともある。
その年のロシア、カザンで行われた世界選手権も、渡部選手にとって満足できる結果だったと思う。
200m個人メドレー、日本新記録で銀メダル。200m平泳ぎ、金メダル。
この試合で金メダル、つまり優勝した選手は、リオデジャネイロオリンピック内定となった。笑顔溢れる彼女を見て、安心したことを覚えている。
しかし、そのあとも苦悩が続く。
内定をもらったが故に、常にオリンピックのプレッシャーに晒され、本番のレースのことが頭から離れなくなった。オリンピック内定ゆえの贅沢な悩みではあったかもしれないが、渡部選手にとっては相当苦しい時間だったに違いない。竹村コーチによると、年末から今年の初めにかけては、香生子のモチベーションを上げるのは簡単ではなかったという。