東尾修の名言 

200勝までは自分のために投げていたけど、残りの51勝はチームのために投げていた。

東尾修(プロ野球)

1968年ドラフト1位で低迷期の西鉄に入団し、以降、太平洋クラブ、クラウンライター時代を通じて、弱小チームで投げていた東尾は、「若いときに強いチームにいて、勝ち星を挙げたほうがいいのか、晩年になってから、チームが強くなって勝ち星が挙げられるようになるのがいいのか、どっちのほうがプラスかなと考えたことがあるんだ」と語る。クラウンライターから西武へと名前を変えたライオンズは、広岡達朗監督のもとで強豪球団へと変貌。東尾は'77年以降、5度も15勝以上を経験し、'84年に通算200勝を達成。'88年限りで現役を引退した。

Number479号(1999/09/09)

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